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お金で買えない豊かさ

2019.06.28 17:01

集会で東成瀬村にお邪魔したときのこと。私にとっての東成瀬、皆瀬のあたりは、子どもの頃、仲良くしている他の家族と連れ立って川に遊びに来るところ。川辺で水遊びをして、もりで魚をつき、バーベーキューをして、弟や両親と楽しく過ごした思い出の深い土地でもあります。

車窓から雨に濡れた緑を眺め、この辺に家があったらこんな景色を毎日眺めて暮らせるのになあなどと思いました。

折しも、東京の友人が、「学力日本一の村〜東成瀬村の一年」という本を見て、東成瀬に住みたいんだけどと、少し前に言っていたことを思い出しました。友人が記事を書いていた小冊子を手にして、目に飛び込んできたのは、
「貨幣は少なくとも豊かな暮らし」という言葉。
私が漠然と感じていた豊かさを語る記事に目が釘付けになりました。

綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、私は、私自身も含めて、お金で買えない豊かさに価値を見出す人が増えてきていると感じます。
都会にいたら、花一輪、お金を出して買わなければ手に入りません。道端の花なんてほとんどなく、全てが誰かの、もしくは公共の所有物です。子どもが勝手に摘んだりしないようにガミガミ言いながら歩かなくてはいけません。田舎にいたら、その辺の道端、田んぼのあぜ道に季節の草花が咲き乱れています。
裏の畑からとれる野菜、親戚や友人からもらうお米、野菜や卵。物々交換のように貰い物のおすそ分けをしあったり、季節には山菜、ぜんまい、たけのこ、天然の舞茸やひらたけなどのきのこ、リンゴ、梨、桃、さくらんぼなどの果物をやりとりし合いながら、買うのは魚と豆腐ぐらい(私は内陸の生まれですが、海辺なら魚やカニもきっととったりもらったりあげたりしている)という暮らしをしている人も、この秋田には多くいるだろうと思います。

そんな豊かさに、私自身、20代の頃までは気づいていなかったと感じます。都会での生活の楽しさとせわしなさに気づき、田舎の良さが見えてきて、子どもを持ってその、お金以外のものがもたらす豊かさ、都会ではお金を出しても買えない新鮮な野菜や人の繋がりに一段深く気付かされました。
ここ数ヶ月庭の手入れができなくて草が大変なことになっていますが、ちょっとした花壇の草取りなどは、始めるまでは面倒だと思っても、いざ始めると不思議な充実感があります。子どもと庭で土いじりをしながら過ごすささやかな時間が(もっとも、子どもはダンゴムシ探しに夢中なだけですが)、何より幸せだと感じます。

東京の暮らしはお金があれば楽しいものです。ただ、いつもみんなが急いでいます。電車に遅れる、会社に遅れる、保育園の迎えに遅れる、みんなが互いに気遣いあえないくらい忙しく、幼い子どもを連れていて騒がしいからと舌打ちされたことも一度や二度ではありません。ラッシュの時は子連れで電車に乗るなとか、保育園の迎えに五分でも遅れると怒られるから慌てて近道しようとして池に落ちた、なんていう話も聞きました。私自身も、独身時代は平日は職場と家の往復だけ、休日も自分の身体と家のメンテナンスをするだけで手いっぱい。どこかに出かけようとしてもどこも休日は混雑していて、たまには友達の車で遠出をと思っても道路も大渋滞です。髪を切りに行く間ちょっとだけ子どもを預けたいと思っても、頼れる家族や親戚もない。
そうした都会の暮らしは、お金で買えない豊かさとは無縁の世界です。それに見切りをつけて、移住をしたいと望む人は少なくないと感じます。四季の移り変わりを感じながら豊かに暮らせる環境が、この秋田にはあります。

私は、私自身もそうでしたが、一度都会に出てみたいという若い人たちを何が何でも引き止めたいとは思っていません。それは、一人一人の自由で、様々な価値観を尊重することと矛盾します。ただ、帰ってきたいと思う人が帰ってきたいと思った時に帰って来られる秋田、田舎に住みたいと望む都会の人に選んでもらえる秋田であることが出来るように、そのために必要なもの、いらないものを、みんなで考えていかなくてはいけない。そのように思います。

写真は大館で出会ったヤギ


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