2020.09.25 15:05
先の首班指名にあたり、同世代の先輩議員、伊藤たかえさんを指名したことについて、様々な反響がありました。
私自身、永田町の慣例に従わないことにより、伊藤議員にご面倒をかけることと、こうした私の行動についての説明責任が生じるということまでは覚悟しておりましたが、この行動に関する反響が予想以上にあったことに正直驚いております。
揶揄やご批判も多数頂きました。
首班指名の結果が読み上げられたとき、議場からはどよめきがあがり、周辺の議席からは
「(伊藤議員が)自分で入れたんじゃないのか」
「(総理を)やりたいならやりたいって言えよ」
「記録に残るのに何をやっているんだ」
などという批判めいた声が上がりました。
ただその一方で、本当に多くの方から応援のメッセージが届きました。
私自身と同世代の方々や、子育てを卒業した世代の女性たちから激励頂いたこと、そしてまた男性からも賛同の声をあげてくださる方がいらっしゃったことに嬉しさを感じました。
反応は報道の方達からもありました。
その中には、
「我が社も女性が活躍できる環境になどなっていない。政治もメディアも変わらないといけない」
「私たち有権者(およびメディア)は『40代の女性総理が誕生する』という前提を無意識のうちに排除しているのではないかと蒙(もう)を啓(ひら)かれた」
などの声もありました。
そして、もっと驚いたのは新内閣における大臣の一言。
18日の閣議後記者会見で、橋本聖子男女共同参画担当相が、河北新報社の取材にこたえ、
参院の首班指名で伊藤孝恵議員に一票が投じられたことに関し、
「女性が当たり前に、首相候補や閣僚になるのが望ましい。(1票は)これからの世代に第一歩を示した」
と発言されました。
自民党議員のお立場にもかかわらず、私のような無所属議員が投じた一票に反応し、党派を超えてそのような言葉を発せられた大臣の秘める想いに心を動かされました。
ジェンダーギャップ指数121位、政治分野に至っては144位の日本において、ほんの小さなことではありましたが、問題提起の意味はあったのかもしれないと思うことができました。
政治の分野で女性が少ない、あるいは軽んじられるのは議員だけではありません。
これは、私が国会議員の秘書として働いていた時の話。
一般的には「秘書」は女性のイメージかもしれませんが、永田町は男性秘書が闊歩する世界です。
秘書時代、電話にでれば幾度となく「お前じゃなく男を出せ」「誰か男の人はいない?」との言葉をかけられました。
男性からだけではなくて、女性からも、です。
私自身は秘書として政策面、運営面に責任感を持って取り組んでおりましたが、時として秘書として扱われない悔しさは忘れられません。
永田町の中では一般的に、女性は単なる「お茶汲み」であり、「電話番」や「留守番」であるとの古い「常識」が根強く残っています。
各地の地元事務所ではさらにその傾向が強いのではないかと思います。
相手側に「女なんかよこして失礼だ」と思われないように、軽んじられないように、男性を重用するという意識が少なからず残っていると感じます。
この根底にあるのは、女性はあくまで補佐的業務をするのであって、意思決定などの本業は男性がやっているもの、との意識です。
果たしてそのような現状は、誰しもが暮らしやすい社会を作るでしょうか。
「女性のいない民主主義」
これは、支援者である男性経営者の方から頂いた本のタイトルです。
男性政治家と女性政治家の興味関心が異なっており、それはそれぞれの性別の一般的な傾向を反映している。
とすれば、女性政治家が極端に少ない日本の状況は、社会構成の半数をなしている女性の意志が政策に正当に反映されていない恐れが大きい、そう書かれていました。
社会の半数、いえ、平均寿命と最新の人口比を見ればこの国の半数以上を構成する女性がしっかりとその意思を反映できる社会にする。
女性のみならず、男性もそうなるべきと感じているのだということを、今回のことで私自身も確信をしました。
社会をあるべき姿に変えて次の世代に引き継ぐこと。
私に課せられた最大の使命の一つと信じて頑張ってまいります。
写真は、取り上げてくださった報道番組の一場面。
今回の行動に対する批判的な意見をきいた男性番組関係者が、今の政治の実態を伝えたいと企画を組み、私の想いを取材しに来てくださいました。