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明日も太陽は昇る

2020.10.12 16:41

足立区議の白石氏が、9月25日の区議会一般質問で「L(レズビアン)だってG(ゲイ)だって法律で守られているという話になれば足立区は滅んでしまう」などと発言をし、LGBTへの差別が話題となりました。

LGBTとは、
Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、
Gay(ゲイ、男性同性愛者)、
Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、
Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)の頭文字をとった単語で、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の総称のひとつです。

一方、先月の秋田市議会でもLGBTが取り上げられ、市議のお一人から
「『(性的マイノリティーについて)社会の理解が浸透していないから時期尚早』というのではなく、行政や政治が率先して理解促進に努め、制度を作り、多様性を認める社会の実現を考えなくてはならない」
との主張がなされ、前述の白石足立区議とは正反対の考えが示されました。

私もこの秋田市議の方と同じように考えており、自分をLGBTアライ(当事者ではないけれど理解し応援したいと思っている)と認識しています。

私がこのことに関心を持っているのは、私自身が不登校児だったことに起因すると思っています。
私が不登校になったきっかけは、このまま、この学校に通っていたら自分が自分ではなくなる、という感覚に覆われたからでした。
疑問に思っても声を上げられず、とにかく自分の感情を押し殺して何も感じないふりをしていることに耐えられず、不登校となりました。

ですので、自分らしく生きられないことの辛さがなんとなくわかると感じるのです。

性自認は個人の自己認識の根幹に関わることで、それを隠したり、多数派であると偽りながら生きていかざるを得ないという苦しさは計り知れません。自分のありのままを認めていいのか、自己認識、自分の存在そのものを脅かしかねないほどの重大なことであると考えます。

日本は、この点において非常に硬直的な制度となっています。

例えば同性婚。
日本は同性間の結婚を認めていません。
同性同士であるだけで、愛する人と共に寄り添って人生を歩んでいきたいということは異性婚となんら変わりありません。

互いに信頼し愛し合っていても、同性同士であるというだけで法律上の結婚が阻まれているという絶望感。
気持ちの面のみならず、結婚できないことにより、夫婦として受けられる当たり前の公的扶助が受けられない、福利厚生、各種手当てや見舞金も受けられない、パートナーが病気になっても手術の承諾書のサインもできない、慶弔休暇、介護休暇もとれない。法的な結婚という選択肢が与えられていないことにより、同性カップルには多くの実生活上の不都合や困難が生じています。
自治体単位でパートナーシップとして、異性間の事実婚と同じ扱いをすると定めるところも出てきてはいますが、まだまだごく少数です。
日を改めてこの場でお伝えしたいと思っていますが、その硬直性によって日本への居住を諦めざるを得なくなる日本人・外国人同性カップルの方々もいらっしゃいます。

冒頭の足立区議の話に戻します。
本当に、「L(レズビアン)だってG(ゲイ)だって法律で守られているという話になれば足立区は滅んでしまう」のでしょうか。

私はそうは思いません。
そして、こう考える方の考えが変わるまで待っていてよい問題とも考えていません。

立法に当たっては、基本的に、
国民の理解が十分に得られてから進めるべき政策と、
国民の理解を広めていくために国が主導して行う政策の二種類があると私は考えます。
そして、LGBTにまつわる政策は、冒頭の秋田市議の方のご指摘の通り、すべて後者の視点で行うべきであると考えています。
理解が広がるまで待っている間に侵害される人権の問題は重大で、かつ、この問題を解決することによって、当事者以外が受ける影響はほとんどないからです。

ニュージーランドの議員が、同性婚の法律審議の際に行った名演説を思い出します。

「あなたがたは何を恐れているのですか。この法律は、愛する二人の人間に、結婚という当たり前の権利を認めるだけのことです。ただそれだけです。同性婚を認めても、明日も太陽は変わらず昇ります。あなたの生活は明日からも一切変わることがありません。あなたの10代の娘は明日もあなたに反抗的な態度をとるでしょう。住宅ローンが増えることもないし、カエルがベッドから出てきたりもしない。世界は変わらず続いていく。だから、大げさにしないでほしいのです」

この国に住む誰もが安心して自分の人生を自分らしく生きられるように、当たり前の暮らしの前提がすべての人にひらかれるように、これからもこの問題に取り組みます。


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