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臨時国会のスタート

2020.10.28 16:37

今週から臨時国会がスタートしました。
菅総理として初めての国会ということで、その所信表明に強い関心を持って臨みました。

所信表明を国会最前列で聞き、期待したことと懸念したことを率直に書き記しておきたいと思います。

まず、期待と共に心に強く響いたのが、
「2050年までの二酸化炭素の排出ゼロ宣言」。

2050年なんてまだまだ先じゃないかと思われるかもしれませんが、実は二酸化炭素の削減に最も積極的な地域であるEUが目標としているのも「2050年までに実質ゼロ」。
目標段階においては、世界レベルのものを掲げたこととなります。
いままでの政権は、お世辞にも環境問題に積極的とは言えなかったなかで、日本の内閣として世界レベルの宣言をしたということは本当に意義深いこと。
この宣言に至るまでの多くの方の努力と英断に心から敬意を表したいと思います。
国会においても、衆参とも全会一致での気候非常事態宣言の決議を目指すこととなっています。

もちろん、どうやってその道筋をつけるのかということはこれからで、東北生まれの私としては、その手段がさらに多くを原子力発電に頼るということではあってはならないと考えますが、
これからもこの内閣でどのような意思決定がなされていくのかを環境委員会の委員の一人として、子どもたちの未来に大きな責任を持つものとして期待を込めて見つめていきたいと思います。

懸念を抱いた点もあります。
それは、「改革」という掛け声に伴う負の側面です。
菅総理はデジタル分野を含めた多くの「改革」を掲げられました。

時代の変化に伴い、物事を改めていくことは必要なこととは思いますが、
その変革のやり方次第では、変化の最中で切り捨てられる方、取り残される方が生まれることが、
今までの政権の「改革」の歴史の中で明らかになったと思います。
15年前の小泉構造改革も、改革による勝ち組と負け組が峻別されたことは鮮明に記憶に残っています。
「格差」という言葉が使われ注目されるようになったのも、この小泉政権の後からのことでした。
まさしく、改革によって生じた負の側面として格差が拡大し、それが目に余るほどに顕著になってきたというのが現実として生じた事象であり、格差の拡大、格差の世代を超えた連鎖が大きな日本の課題の一つとなっています。

必要な改革はもちろんあると思います。
その中のいくつかは2020年であれば既になし得ていなければならかったこともあるのかもしれません。
ただ、その痛みに耐える体力が果たして今の日本にあるのか、コロナ禍でも耐えられるものなのか、どうしても進めるのならば、どのような手当てをしながら進めるべきであるのか、丁寧に検討していく必要があります。

「自助、共助、公助」をポリシーとして掲げる総理大臣が、その自らの叩き上げの経験を踏まえて
「努力するものが伸びていける社会」を改革し作り上げる最中で、
「努力することがそもそも難しい人たち」の視点が失われていくのではと強い懸念を抱きました。

私は、放っておいたら弱い立場に追い込まれる人たち、経済原則に任せていたら守られないもののために働くことが自らに課せられた使命だと考えています。
同郷の総理だからこそ、遠慮をせずにその役割を果たして参りたいと思います。

写真は国会議事堂の中庭にて。


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