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学校だけが居場所じゃない

2021.08.19 12:26

不登校に悩む子どもたちと保護者の皆さんへ、同じように不登校児であった私から。

もうすぐ夏休みがあけます。
どうか、学校に行かなければ、行かせなければと思い詰めないでください。
学校に行かないことも含めて、自分の(子どもの)存在そのものを認め肯定してあげてください。
たまたま通っていた学校が合わないということだけで、自己肯定感を落とす必要はありません。
文科省も無理に登校することを求めてはいません。

学校に通えないあなたが悪いのではなくて、あなたにあった学びの場を用意できない社会が悪いのです。
ごめんなさい。

ホームスクーリングを含めて、子どもの数だけ学び方はあっていいはずです。社会のあり方や価値観が多様になり、多様性に重きを置くようになってきているのに、画一的な学校のあり方に疑問を持つ子どもたちが出てくるのは当然のことです。
むしろ、今の日本の教育のあり方に警鐘を鳴らす子ども達の存在は「炭鉱のカナリア」であって、日本の教育が時代についていっていないことを示しています。
子どもの数が減っているのに、不登校の子どもたちの数は逆に増えていることが、それを表しています。

私の経験を少し。
転校をきっかけに、私は中学生の時に不登校となりました。
高校に進学してからも、不登校となり、最後は学校を中退しました。
不登校の理由を一言でいえば、通っていた学校のあり方に合わなかった、その学校のあり方に自分を合わせることをしなかった為です。
その判断に、いまでも後悔はありません。

私は、学校の理不尽な側面がどうしても受け入れられませんでした。
どうして前髪は眉の上まででなければいけないのか。
靴下やズック靴の紐の色まで指定でなければいけないのか。
教科書を忘れたら問答無用で叩かれるのか。
そして、こういうちょっとしたことには口うるさく注意するのに、どうしてシンナー臭を漂わせ教室に戻ってくる子達に関心を向けないのか。
修学旅行に向かう新幹線の中で「避妊具を持ってきたか!」と大声で叫ぶ女の子を見て見ぬふりをしているのか。
この子達こそ、実は先生たちの関心を引きたいと思っているのではないのか、私の心は、こういうことの一つひとつに恐らく耐えられなかったのだと思います。

今、大人になると、先生たちも忙しくて自分たちの手に負えないと思われる子どもたちにかける余裕はなかったのだ、そうなる手前の子どもたちをなんとかしようと思っていたのだ、と思うことができますが、当時物事を敏感に察知する子どもだった私には到底受け入れ難いことでした。

演出家の鴻上尚史氏が著書「学校ってなんだ!日本の教育はなぜ息苦しいのか」の中でこのような話をしています。

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教科の解説や人生のウンチクに対して、ほんとうに納得できる言葉を与えてくれた先生が、校則問題になると、いきなり理不尽になりました。「世の中にはルールがあるんだ」と真顔で言われた時は、「先生は世の中のルールがなぜあるか、その理由を考えろとおっしゃいませんでしたか」と混乱しました。その答えは、お茶を濁しているだけとしか思えなかったのです。

そんなはずはない、この先生は普段はとても論理的に物事を説明している、もっとちゃんとした根拠を教えて欲しいと、さらに言葉を続けると、最終的に出てくるのは、「中学生らしくない」という言葉でした。

この言葉はやがて「高校生らしくない」「〇〇中学の生徒らしくない」「〇〇高校の生徒にふさわしい服装と態度で」と続きました。

この言葉を聞くたびに、僕は先生に対する尊敬と親近感、そして信頼を失っていきました。

先生が、どんなに熱く理想を語っても、どんなに厳しく探究心の必要性を訴えても、どんなに真面目に「自分の頭で考えること」を説いても、校則問題に関しては、その正反対、真逆のことをしている。そして、そのことに疑問を持たず、問題にもしていない。

そう感じることは、当時の僕にとってほんとうに苦痛でした。

服装チェックをしている先生を見ながら、「中学生らしい」こととリボンの幅が2センチから3センチになることはどんな関係があるんだろう。リボンが白になると、どうして「中学生らしく」なくなるんだろう。黒と茶が中学生を表す色で、白は違うと本気で思っているんだろうか、と僕は失望しました。

先生が普段仰っている「真理を追究する心」とか「探究心」は、「中学生らしい」という言葉よりもはるかに弱いものなのですか、と聞きたかったのです。

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私と同じような疑問をもった人が、やはり多くいらっしゃんたんだと感じました。
そしていま、不登校で悩み苦しんでいるとしても、同じような悩みを抱える仲間は沢山いるはずです。

7月の上旬、神奈川県鎌倉市のフリースクール「ラルゴ」さんを訪問させていただきました。
不登校の当事者であり、フリースクール議連の事務局長を務める夫が招かれたので、私も同行しました。

自分たちの経験や不登校に関わる国での議論などについて、ラルゴに集う子どもたちと保護者のみなさんとともにお話しさせていただきました。

かつての当事者として、依然として国が代替教育の場を支援せず、多くの子どもたちと保護者の皆さんが悩み、地域によっては孤立して苦しんでいることに胸を傷めています。
自治体によっては、独自に、フリースクールや、そこに子どもが集う家庭への財政支援を始めている先進的なところもあります。ラルゴさんは、行政との連携も含めて積極的に取り組まれている団体で、私たちも大変勉強になりました。

私自身の目指すところは、何処で何を学ぶのも子どもが自由に選択できる環境を社会全体でつくっていくこと。「そもそも不登校という概念がなくなっていくことです」。ラルゴを運営される方のお言葉です。

ラルゴの方も驚いていたようですが、
「政治家なんて・・・」と、訪問前に言っていたという子どもの一人が、途中から夫にくっついて離れなくなりました。
それを微笑ましく眺めながら、学校に通えないあなたが悪いのではなくて、あなたにあった学びの場を用意できない社会を変えなければ、と強く想いました。

学校に行くことが唯一無二の選択肢ではありません。
子どもたちにも、嫌なら無理をして行く必要はない、自分が自分でなくなるような感覚や自分を押し殺して通わなければならないと感じるのならば行く必要なんてない、そう声をかけたいと思います。

そして、そう思った時の代替の場があるように、そこにしっかりとした財政支援があるように、政治の場で私たちも努力を続けていきます。

写真はフリースクール「ラルゴ」のみなさんと。たくさんの元気をもらえた訪問でした。


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