2025.02.06 16:43
数年間で筋肉が徐々に弱っていき身体が全く動かせなくなる筋萎縮性硬化症(ALS)。
人工呼吸器をつけて生きることを選ぶか、それともそのまま亡くなるのか。
意識が鮮明なまま、自らの生について過酷な選択を迫られるALS患者の方々の日常と揺れる心を映し出した映画、「杳かなる」の試写会に足を運んできました。
映画では、「人工呼吸器をつけるのか今から考えておいたほうがよい」(補足:呼吸器をつけない選択は死に直結する)という医師の言葉に揺らぐ佐藤裕美さんの姿がありのままに映し出されています。
一時佐藤さんは、命をかけた選択に戸惑う自分自身の姿が、映画を見た人たちにどのように消費されるのかと悩み、撮影の中断を申し出ます。それでも一年の中断を経て再びカメラの前にその姿を見せることを選択し、映画化することで、広く私たちに考える機会を与えることを選んで下さいました。
佐藤さん以外にも、もう一人岡部さんという方が登場されます。
岡部さんのご著書によると、岡部さんのもとには、同じ病気を抱えて人工呼吸器をつけて生きるのかどうかに迷う人たちが訪ねてくるのだそうです。「私を訪ねてくる時点で、その人は生きたいと願っている。障がい者でも健常者でも死にたくなるような困難を抱えることはある。そんな時、『死にたい』を支える社会より、『生きたい』を支え続けられる社会を目指したい」と言います。
私自身も全く同じ想いです。
障がい福祉の現場の方やご家族のお話を秋田で、そして国会の勉強会などの場で多数伺ってきましたが、いまの日本は障がい児の保護者や障がいのある方が自助努力で居場所や介護者を確保したりしなければならず、先述の「社会が『生きたい』を支え続けられる社会」とは程遠い状態です。
はっとさせられた佐藤裕美さんの言葉をここにお借りします。
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自分自身が難病の『患者』となり、制度やサービスの『利用者』となり、そしてついこの前まで自分もその一員だったはずの社会にあって『弱くて無力で役に立たない、“われわれ”ではない人』というまなざしを全身に浴びながら、その生すらも歓迎されない存在とみなされていくのを痛いほど、怖いほど感じてきました。
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佐藤さんが自らの身をカメラの前に晒して私たちに知ってほしかったことは、いつ病気や事故で自らや家族がそうなるかもわからない私たち一人ひとりが、こうした問題を我が身に引き寄せて考えてほしいということだと私は受け取りました。
「孤絶する一人のために、99人が配慮する社会をつくれないのか」
この問いを皆さんと共にこれからも考え、99人が配慮する社会を実現するために引き続き努力を重ねて参ります。
映画「杳(はる)かなる」の公式サイトはこちらです。多くの方にご覧頂けたら嬉しいです。
岡部さんのご著書はこちら。岡部さんが介助者の方の手を借りながら口述筆記で一文字ずつご自身の想いや考えを綴った貴重な本です。