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会派入りのご報告

2026.01.20 16:20

報道等でご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私はこの度、参議院における会派「自由民主党・無所属の会」に入会することとなりました。

これまで無所属として活動してきた私が、自民党系会派に入るということに対し、多くのご批判や戸惑いの声が寄せられていることは承知しております。そして今回の判断は、多くの方に理解されうるものでないことも承知しております。それでもなぜ私がこの道を選んだのか、その理由を率直にお伝えしたいと思います。

最初に、7年前の原点と2期目の葛藤についてです。

7年前となる2019年、秋田で大きな争点となっていたイージスアショアの配備に反対するため、そして自民党現職を倒すことを目的として、当時の野党各党(立憲民主党、国民民主党、社民党、野党系無所属)が協力し野党統一候補の擁立を目指しておりました。

しかし擁立作業は難航を極め、多くの方々に固辞され、選挙まで半年を切った頃、最後の最後に突如として私にお声がかかりました。突然のことではありましたが、擁立作業に苦悩していた夫の立場も踏まえ、熟慮の末、年明けの2月にお引き受けすることを決意し、その後多くのご支援を賜り奇跡的に議席を頂くことができました。

こうした経緯を踏まえ、一期目は課題であったイージスアショアの配備撤回を実現することができたのちも、いずれの党や会派にも参加せず、完全な無所属議員として活動を重ねておりました。それは何より、自らの議席を頂いた経緯を鑑み、無所属であること、言い換えればそのスタンスを何より優先すべきと考えていたからです。

その一期目の任期満了が近づいた時、私は政治家としての引退を考えていました。それは、夫が引退を表明した際にもお伝えした通り、夫婦で議員をすること、とりわけ週末を中心として移動を伴う地元活動と、学齢期の息子を抱えながらの家事と育児の両立が難しいというのが主な理由です。

それでも、「6年間取り組んできた課題にこれからも取り組み続けてほしい」そのようなお声を多く賜り、「女性議員はまだ少ないからあなたが残るべきだ」との夫の言葉もあって、悩み抜いた末にもう一度選挙に挑む決意を固めました。

私の中にも、取り組んできた子どもの貧困、教育格差、不登校、社会的養護、そして困難を抱える女性への支援など、未だ道半ばであり、それらの政策課題の前進は自らの使命と感じておりました。

それらの課題を少しでも解決したい。

その想いが、20年以上応援してきた夫の引退をも乗り越える最後のひと押しとなったことは事実です。

ただ、再選を目指すにあたっては、一つの誓いを立てました。

「どの政党にも支援を求めず、(貴重なことではありますが)どの党からも推薦も受けず、一切の資金も受け取らず、完全な無所属で臨みたい」ということ。

今回は自らが現職という立場で選挙に臨み、与野党の対立構造ではなく、私個人がこれまで取り組んできたこと、そしてこれから取り組もうとする政策やその姿勢を判断いただきたかったからでもあります。

その誓いのもと、それでも多くの方々や政党県組織の自主的な支援を賜り、選挙戦は大変厳しいものではありましたが、再び6年の任期を賜ることとなりました。

そして、2期目を迎えるにあたり、心に決めていることがありました。

それは、「政治的な立ち位置よりも『政策課題の前進』を最優先にしたい」というものです。

しかし、現実は厳しいものでした。

政権の枠組みが変わった前国会より、無所属議員に対する風当たりは想像以上に強くなっていました。国会での質疑時間は縮減し、私がライフワークとしてきた女性議員に関する国際会議への出席さえも、野党側から難色を示され、参加できない事態となりました。

「託された想いを一つずつ形にしたい」。そう願った想いとは裏腹に、このまま無所属でいることは、一期目よりも活動が制限され、無所属のままでは、二期目に挑む決意を支えた政策課題の前進は叶わぬものになるのではないか。そう懸念するにつれ、いずれかの会派に属することが避けて通れない道であると考えるようになりました。

次に、所属する会派に関してです。

本来であれば、野党第一党であり、夫が所属している立憲民主党会派に加わることが、周囲から見れば最も自然であり、かねてから私自身もいずれはとの思いがありました。

しかし、結論から申し上げれば、私の不徳の致すところでもありますが、様々な経緯があり、残念ながら今までの6年間で立憲民主党会派とは信頼関係を築くことが叶いませんでした。

6年間にわたる様々なやりとりと私の受け止めは、総選挙が迫るこの時期に申し上げることは控えたいと思いますが、両者の中で決定的だった出来事がありました。

それは私が再選に挑むことを表明し投票日まで半年となったころでした。私が立憲民主党会派に入らなかったこと、首班指名選挙につき立憲民主党会派と行動を共にしなかったことなどを理由に、当時の党選対本部幹部の方が、私の落選を目的として(他党と連携し)秋田に対抗馬を擁立しようと動かれたことです。それは夫の耳にも他の選対本部幹部より伝えられ、そして、それに連動した他の野党から「対抗馬を出されたくなければ我が会派に入るという念書を」と迫られました。

秋田県内の立憲民主党の議員の方々には、本当にお世話になり信頼関係を築いてきたものの、国会の中においては、これら一連の出来事によって連携の未来は途絶え、再選の後に立憲民主党会派に入会することは互いに難しいことと捉えるようになったと思います。

一方で、これまでの6年間を振り返ったとき、制度改正のための私の国会活動の場では、常に党派を超えた連携がありました。

子どもの貧困、教育格差、不登校問題、社会的養護、そして困難を抱える女性への支援。

少しでも解決したいと願ってきたこれらの課題において、超党派の議員連盟や視察現場で共に汗をかき、議論を重ね、課題解決を果たしてきた同志の多くは、期せずして自民党の方々でした。

不登校・引きこもりについては、阿部俊子議員。

社会的養護については、塩崎恭久元議員、長島昭久議員。

医療的ケアを必要とする子ども等の支援については野田聖子議員、宮路拓馬議員。

国内外の人口問題とも切り離せぬ関係にある女性支援については、上川陽子議員、阿部俊子議員。

子どもの貧困や教育格差については、細野豪志議員、長島昭久議員、鈴木貴子議員。

こうした方々から、継続的にお声をかけて頂き、私的な勉強会や視察に同行させていただいたり、議員連盟の役員等に加えていただくなど、ご指導を頂きご厚情を賜ってきました。

そして一昨年には、毎年足を運び、日本の女性議員の活躍と存在を訴えてきた「アジア女性国会議員会議」の出席が野党の反対で叶わぬと諦めていた時に、その道を開くべく野党を説得して下さったのは、自民党の石井準一参議院幹事長(当時参議院国対委員長)でした。

年末にも歌舞伎町で、オーバードーズや居場所のなさ、貧困などの理由からこの場所に集まる若年女性への支援活動に同行させて頂きました。こうした10代の少女や20代の女の子たちを買おうとしてその全身に視線を走らせる幅広い年代の男性たちの姿に絶望感とやり切れなさ・無力感を覚えながらも、残された任期で自分自身に成しうること、やるべきことを改めて深く考えてきました。

この視察にお声がけをくださったのも、阿部俊子前文科大臣でした。

「うちは女性や子どもの分野は弱いから、あなたのような人に助けてほしい」

私自身がやりたいことに関心を寄せ、忙しい大臣・副大臣時代も通して、継続的に様々なお声がけを頂いてきました。

「2期目は、政策課題が少しでも前進する環境を最優先する」

そう誓った私が、このことに最もこだわって所属会派を選ばなければならないとすれば、これまで問題意識を一にし、共に活動をしてきた方々と、より信頼関係が築ける場所であることが、その誓いに最も近いのではないかと思う反面、ただ、その判断はあまりにも重く、そして大きな批判が伴うものであることに躊躇しながら考えてきました。

振り子のように日々想いが揺れる中、「あなたが関心を持つ政策分野で十分活動できる環境を整えるから、一緒に頑張らないか」と参議院自民党会派の方からお声がけを頂き、熟慮に熟慮を重ねた結果、先の誓いに従って自民党・無所属の会に入ることが最も望ましいと判断するに至りました。

改めまして、心からお詫び申し上げたいと思います。

今回の判断によって、これまで与野党対立の構図の中で、野党勢力の拡大を願って奔走し、私に一票を投じてくださった方々のご期待に沿えなくなってしまったことを深くお詫び申し上げます。その痛みを、私は一生背負っていく覚悟です。

今回の入会はあくまで「参議院の会派」への入会であり、自民党に入党することは考えておりません。また、基本的に選挙や政党活動とは一線を画し、私はあくまで国会での「政策課題の前進」に集中する所存です。

ただ、20年以上、秋田県内において非自民の旗を掲げてきた夫を支えてきた者として、このような結論に至ることは、初めての選挙に臨む際には想像もしていなかったことであり、野党に期待したい、自民党に代わる勢力を育てたいと思ってくださっていた方々には、私の選択は大きな政治不信を招くものだろうと感じています。私が外形的に、他の政治家のこうした選択を見聞きしたのならば、不信感を持ち、理解できないと感じてきたからでもあります。多くの方に同様の不信感を抱かせてしまうことに、今も心が痛み、忸怩たる思いがあります。

それでもなお、批判や誤解を恐れるあまり、そこに課題解決のための有効な環境があると半ば確信しながらも、その道を選ばないということは、これまでお会いしてきた、困難に直面し切実に政治を変えて欲しいと願っている方達を裏切ることになるのではないか、黙っていたならば外からわかることではありませんが、議員としての重責を担いつつそうして時間を過ごすことは、その現実の重みに耐えきれなくなると思いました。政治を志してからの7年余りに受け取ってきた様々な課題に取り組み、その一つでも多くを解決するため、政策課題の前進のために働くため、私自身にとって苦しい決断ではありますが、この道を選ぶこととしました。これからは、その痛みと想いを背負い、政策実現の成果を得ることでお応えしていきたいと考えております。

私自身、5年後の次の選挙のことは頭の中にありません。

大きな政治のうねりの中で、また、残り5年半の任期の中で、私自身にできることは多くない、大きなことは成し得ないと思っています。私にできることは、光の当たっていない課題に光を当てること、反対する人などいないのに、気づかれないがために放置をされていたり、当事者は少ないながらも、非常に大きな困難を抱えているという課題を解決に繋げること、そのような仕事であろうと思っています。

私に与えられた残りの任期の中で、1日1日を惜しむように活動し、子どもや女性のこと、持病や障がいがあったりご高齢になられたりして弱い立場に置かれた方々のこと、また、様々な理由で生きづらさを感じている方々が抱える困難を一つでも多く解消し、誰もが安心して暮らせる秋田と日本をつくるために努力をしていきたいと考えています。

今回の一歩が、多くの方にご理解をいただけるとは思っておりません。それでも、批判を恐れず、これまでお預かりした課題を解決するために、前を向いて歩みを続けて参ります。

寺田 静


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