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私自身について

2019.02.28 14:43

国政を目指す上で、自己紹介を兼ね私自身の生い立ちをお話しさせて下さい。
寺田 静(てらたしずか)旧姓 江上。
1975年(昭和50年)3月、秋田県横手市生まれ。

父の仕事の都合で、小学校3年の夏に青森市に引っ越し。その時、祖父が増田町の町長選挙に出ることになり、母は秋田に手伝いへ。残された私を曽祖母が面倒をみてくれた。とても寂しかった思い出がある(この思い出が我が子と重なり、今回の決断を悩む原因でもありました)。
小学校6年冬に茨城県に引っ越し。転校生と呼ばれても返事をせず、もう一月も経つのに転校生と呼ぶなと喧嘩したりして、気の強い少女時代だった。このころ、前の学校との教科書の違いにより、勉強をしていない部分を担任が毎朝補習してくれ、学力が落ちずにすんだ。本当に感謝。

この間、両親の実家で、会社が潰れたり、借金の連帯保証人になったりした為、親戚らが自己破産をすることになり、両親も建てた家を手放すことに。我が家自体はそれなりに平和ではあったものの、子供心にも、経済的にあまり余裕がないことを感じつつ育つ。

中学校3年で再び横手市に引っ越し、横手南中学校に転校。ひと学年8クラスあるマンモス校で、管理教育の側面が強く、それに合わず不登校に。11月から卒業までの5ヶ月登校せず。

横手城南高校進学後は楽しく過ごしていたものの、進路指導などを通じ、再び管理教育に合わずに高校3年5月に中退。先生からは「大検に落ちたら戻ってきて。補習して同級生と同時期に卒業させてあげる」と言われる円満中退(?)であった。別の恩師からは、自分も管理教育臭が気になり定年を待たずに退職したと手紙をもらう。9月に大検に無事合格。現役の年はセンター試験のみ受けるもひどい点数だったので大学には出願せず。

仙台の代々木ゼミナールで浪人の1年間を過ごし、1994年、育英会の奨学金をもらいながら早稲田大学(人間科学部)に進学。心理学などを学ぶ。不登校をテーマにしたいと思っていたが、当時、心理学で扱う不登校が「学校復帰」を軸にしたものが多いことに違和感があり、卒論のテーマには別のものを選ぶ。性格と疾病の関連をテーマに選び、そのことから精神医学に興味を持ち、卒業前年に新しく始まった、医学部の学士入学試験にチャレンジするが不合格。

浪人中は働けとの両親の指導のもと、東京大学生産技術研究所に勤務。研究室で先生の補佐、留学生のケアなどにあたる。その間、自身の不登校経験があったために興味を持った「東京都助成事業・フリースクールスタッフ養成研修・実習」に参加。終了後、実習先であったフリーフクールジャパンフレネに週1度、東京シューレに1ヶ月、ボランティアスタッフとして勤務。

その折、大学生だった弟が倒れ、植物状態に。二週間に一度秋田に戻り両親を支えるが、翌年弟は旅立った。残された家族で一緒に暮らしたいと願い、仕事をやめて実家に戻る(政治を目指す原点となる出来事です。別途投稿しておりますのでお読み頂けたら幸甚です)。
弟を失ったことは、本当に大きな出来事で、今までの自分の歩みにすらも向き合えなくなっていく。徐々に立ち直る中、弟はもう何もすることができないのだから、やりたいことはなんでもやってみようと決意。そこで、今までテーマとしていた不登校、子供に関わること以外で、自分が好きなことを仕事にしたいとの思いから、ハワイ大学の海洋科学部に学士入学。

一時帰国中 の2003年、父から言われ、初の衆議院選挙を迎えていた寺田の選挙を手伝わされた。政治なんて本当は大嫌い、”Karoushi”(過労死)がそのまま英語になっている日本なんてちっともいい国じゃない、一刻も早く立ち去りたいとの思いが強かったが、同世代が集まり、真面目に地域や国を変えようと将来を語り合う雰囲気に徐々に引きこまれていく。当選後、興味がある教育や環境などに関われることに魅力を感じ、また、これまで社会を変える努力をあまりせず、自分が出ていくことだけしか考えていなかった反省もあり、秘書となる(ハワイ大学は中退)。主に国会事務所にて、子供子育て政策、男女共同参画、医療・環境分野などに特に興味を持ち、様々な勉強会に参加。

2009年9月、寺田と結婚。川口博衆議院議員秘書。ベネッセの福武氏が音頭をとる電気自動車普及協会の立ち上げに参加をさせてもらう。その後、参議院議員となった義父の事務所の立ち上げを手伝う。

夫の落選中であった2013年、結婚4年目、諦めていた子供を授かる。
2014年、夫再選。育児に忙殺され過ごす。この間、留学中養った英語力を生かし、県内の友人の海外事業や取引のサポートに取り組む。

2019年、自ら政治に向き合うことを決める。弟を失った時を境に正面から向き合えなかった社会問題に、正直に、まっすぐ向き合おうと決意する。

以上が私の生い立ちです。

自分自身でも平坦な半生ではないと感じていますが、その分、考えたことも多いと思っています。
「議会は感性の集合体」と夫が言っておりました。ひとりの県民として、ひとりの母親として、生まれ育った秋田と、未来ある子供達のために出来得る限りのことを精一杯頑張りたいと思います。

写真:譲り受けた猫と、その猫に引っ掻かれた息子と。


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