2019.04.15 10:00
まずは、ハピネッツ、B1残留に乾杯!!
先日の土曜日、久しぶりに家族でハピネッツの応援に行って参りました。5歳の息子もようやく一試合全てを観戦する忍耐力?もついたようで、久しぶりに声を出して夢中で応援できました。
会場には家族連れを含め多くの方々が来場されています。以前からバスケットに興味があった人はもとより、私のようにハピネッツが秋田に生まれてからファンになったという方も多いと伺います(自民党某代議士のご夫人も、最近大ファンになり当日も会場にいらっしゃったとか笑)。
地元のチームというだけで、応援の熱の入りようがここまで違うのかと驚いている人も多いかと思います。
プロバスケットチーム、秋田ノーザンハピネッツが誕生したのは、多くの県民や行政の助けがあったからですが、何よりも、大学を出たばかりの一人の青年が立ち上がらなければ、今のハピネッツは生まれていませんでした。
水野勇気さん。
ハピネッツの社長であり、秋田にプロバスケットチームを作ろうと立ち上がった張本人です。実は、水野さんとは、水野さんが国際教養大学の一年生だった頃からのお付き合いになります。
最初の出会いは、夫の事務所を水野さんが突然訪ねてきたことからです。
「私たちが暮らしている学生寮について改善点を提案しにきました」。
国際教養大の第1期生である水野さん達が、自らが暮らす学生寮の負担のあり方に疑問をもっていたのでした。夫曰く「何を聞いても全て答えられて、資料も用意してあり舌を巻いた」と。ちなみに、要望はその後に県議会で議論され、解決の道を辿ります。
水野さんは、教養大を卒業後、決まっていた東京の会社の内定を蹴って、温めてきた思いのために秋田に残ります。
「能代工業というバスケット界において最も有名な高校がありながら、秋田にプロバスケットチームがないのはやっぱりおかしい。チームを作り、秋田に活気をもたらしたい」と当時話していました。
そんな熱い思いを持ちながらも、やはり最初は、誰も本気にしてくれなかったそうです。私自身も、正直に言えば、本当に実現するとその時はにわかに信じられませんでした。応援する気持ちはあれど、大学を出たばかりの若者の話を秋田の人たちが真剣に聞いてくれるだろうかということに自信が持てなかったからです。
文字通り、食うや食わずであちこち奔走し、応援してくれる方を見つけ、東京の秋田県人会で宣伝する機会を得たり、一つ一つスポンサーとなってくれそうな企業や団体等に足を運ぶ努力を重ね、ハピネッツはいまや、リーグ有数の観客動員数を誇る、名実ともに県民チームになりました。
水野さんに直接伝えたことはありませんが、試合に足を運ぶたび、これだけの活気が、元をたどればひとりの若者の諦めない気持ちによってもたされたものであることを思い、目頭が熱くなります。
水野さん自身は、東京出身。教養大の進学のために秋田に来ました。
先日の魁新聞に「教養大に入学しなければ秋田と縁がなかったし、チームもなかったと思う」と話しています。
ちなみに、サッカーのブラウブリッツ秋田社長の岩瀬さんもまた、秋田の方ではありません。
私は、今の秋田を変えるのは、秋田にとって異質なものだと思います。
最前線で頑張っている人に加えて、それらとは違った要素が秋田を変えていくのだと思うのです。若い人だったり、秋田県外の人、仕事を引退し第二の人生に向かうゆとり世代、そして女性。私自身も含め、一人一人が諦めずに自分に出来ることをすることによって、秋田に活力がもたらされるものと信じています。
秋田はもっと元気になると思います。
その可能性を端的に具現化した一つが、ハピネッツ。
試合後、車に向かう道すがら、ピンクのチームTシャツをお揃いで着た老夫婦の背中を見て、このチームが秋田にもたらしたものの大きさを再認識しました。
来期も頑張れハピネッツ!
注記
水野さんそして岩瀬さん本人は、政治的には中立で私を含む特定の方を応援しているわけではありません。友人でもあるお二人にご迷惑がかかりませぬよう念のため。