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法律をつくる人

2019.05.17 18:05

法律は時として命を救い、時として救える命を救えない。

当時、AED(自動対外式除細動器)の使用が許されていたなら、と今も思う時がある。AEDとは、心臓に致死的な不整脈が起こった時に、心臓の拍動を正常に戻すために電気ショックを与える機械のこと。

弟が倒れたのは1999年4月11日。20年の歳月が流れた。
学校から連絡を受けた母から私に連絡が来て、都内の職場から埼玉の病院に駆けつけた。とはいっても、最初深刻には受けとめていなかった。「講義の最中に倒れた」としか聞かされていなかったので、「痩せているし、不摂生で栄養失調にでもなったんだろう。全く手間をかけさせて・・・」くらいの気持ちで、電車を待ちながら、乗り換え駅で「入院になるとしたらパジャマくらい買って行かなきゃな」と、駅ビルの無印に寄ろうかなどと考えながらいた。

そこに母から再度電話。「良くないらしいからとにかく早く行ってくれ」とのこと。ここで初めて少しだけ事の深刻さを認識した。良くないというのはどういうことか?何があった?気持ちははやるが電車の中では何をすることもできないし、それ以上の情報はなかった。
駅からタクシーで向かい、到着して救急のところに行く。恐らく待合室には駆けつけてくれていたであろう弟の友人たち。でも、その時は誰が弟の友人なのかもわかっていなかった。

到着して10分ほどで、担当の医師から話があった。病院到着時は心肺停止状態、なんとか蘇生はしたが、いつどうなってもおかしくない状態なので「会わせたい人がいれば早く呼んでほしい」と。頭が真っ白になった。併せて、学校から救急隊に連絡が入った時間、救急隊が到着した時間、病院に到着した時間などを知らされ慌てて持ち合わせていた雑誌の端に書き付ける。大学の授業で救急医学を学んだ経験から、その経過時間は救命率のカーブの中の絶望的な値にあることがわかった。が、一生懸命私の記憶違いだと思い込もうとしていた。

医師から説明を受けた小部屋を出て、父に電話。母は既に新幹線の中だった。医師からの話を告げると、母を新幹線に乗せるために岩手まで車できていた父も、そのまま車でこちらに向かうとのこと。
看護師からは透明なゴミ袋のような大きな袋に入った弟の着衣や靴などを手渡される。到着時に一刻も早く処置をするためだろう、洋服の一部はハサミで切られていた。袋を手に呆然としていると、弟の友達に話しかけられた。「僕が洗濯してきます」と、その袋を私の手からそっと受け取ってくれた。倒れた時そばにいたというその子から様子を聞く。講義の最中、弟が突然机にもたれこんだので「どうした?」と声をかけ、身体を揺さぶった。弟はそのまま横の床に倒れこんだという。失禁もしていて、ただ事ではないことがわかったそうだ。

その5日後、弟は、この先意識が戻ることはないと宣告され、遷延性意識障害の状態で闘病ののち、全身の臓器の状態が悪化、2000年7月に亡くなった。

当時はAEDのことは知る由もなかった。

弟が倒れた当時、日本ではAEDは法律上医師のみにしかまだ使用が認められていなかったのだ。が、2003年に救急救命士が、2004年に一般の人も使用できるようになり、今では多くの公共機関のみならず、民間施設にも設置されている。
弟が倒れた時に既に心肺停止状態にあり、病院に到着するまで蘇生ができなかったとするなら、その経過時間では蘇生する確率はほぼゼロ。それでも、助けてもらった。弟が倒れた時に関わってくださった皆さんには感謝の気持ちしかない。
しかし、その時にもしAEDがあり、一般人に使用が許され、倒れた直後に学校で使われていたら、弟は今・・・と思わずにいられない。

AEDは、今ではかなり広く認知され、その存在を知らない人は少数になってきたと感じる。が、講習などを受けていなければ、AEDは、パッドを貼ればコンピュータが除細動(ショック)の必要の有無を診断してくれ、必要な状態でなければスイッチを押しても除細動が行われないことまで知る人は少ないのではないだろうか。
また、最近のニュースでは、倒れた人が女性であった場合、AEDが使われる率が10%程低いというデータがあるそうだ。AEDの使用の際、胸の2箇所の肌に直接パッドを貼る必要があるため、女性の場合には使用する側に躊躇が生じることがその理由ではないかと。そうした躊躇を減らすために、胸の上にかける布をAEDとともに置いてある施設もあるという。

もっと早くAEDが普及していたら、そして今もっと多くの人が講習を受けていたら、救えた命と、これから救える命は数知れないと思う。

ご記憶がある方もいらっしゃると思うが、2001年、秋田市消防が、当時医師のみに認められていた気管内挿管を救急救命士が恒常的に行っていたとして問題になった。その後、他でも同様のケースが認められ、大きな社会問題となった。だが、気管内挿管は一刻を争う患者にとってまさしく生命線。これもまた、法改正によって2004年から所定の研修を経て救急救命士にも認められることになった。当時、違法と知りながらも現場で命を救うために全力を尽くし、その後問題の発覚で大きな心労を負い、また、その結果として法改正ということにまでつながった消防の皆さんに改めてエールを送りたい。皆さんのお陰で、どれほど多くの人たちが救われてきたか、そのご家族への影響の大きさを思うと、今も胸が熱くなる。

もしかしたら、まだ私の知らぬところに、似たような問題があるのかもしれない。
だとすれば、命を救える手段を見つけ、そして法改正に繋げたい。

昨年亡くなった消防隊員であった友人の兄と、能代の火事で殉職された隊員の方々、そのご家族のことを思いつつ。

写真は空港に設置されたAED。


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