2019.07.18 13:55
選挙戦15日目。
昨日から生まれ故郷の横手を遊説しております。
地域のそこかしこに、子どものころの思い出が溢れています。
小学校3年の時に父方の祖父の会社が立ち行かなくなり、家も売り払って、新しい職を求めて一家で青森に移り住んだ時の気持ち。
そして、中学校の時に、また父が転職をして、横手に戻ってきた時の想い。
それをきっかけに私自身が不登校になって自宅で過ごした日々。
そして最愛の弟が倒れ、入院し、介護の後に亡くなった病院と実家。
私自身、色々なことがあった街ですが、ふるさと横手はいつも温かい街でした。
人には、その人なりの人生があって、
苦しさや、楽しさが織り混ざっています。
それなのに、今の政治と社会は一つの「あるべき生き方」を強要しているように思われ、とても息苦しさを覚えます。
政治が、社会が暗に強要する「あるべき生き方」のレールから外れたら、途端に生きづらくなってしまうから、みんなと違うことを出来るだけ隠したり、みんなと同じように振舞ったり、時には、違う人を非難して自分を守ったり。
そのせいなのか、若者の死因のトップが自殺なのは、先進7ヶ国で日本だけです。
私は、
「人それぞれ、ちがってそれでいい」と思います。
人生は、うまくいかないことも、辛いことも沢山あります。みんなと違うことだらけ。
それが当たり前であって、みんな、それを認めあえる社会であってほしい。
一つひとつの困難が自己責任の名の下に切り捨てられる社会では、誰も、貯金があっても不安なままです。
人生、どんなことが起きても安心できるそのような社会を目指して、一生懸命頑張って参ります。
追記
横手を遊説しながら思い出していたこの詩を。
「激動するもの」 高村光太郎
そういう言葉で言えないものがあるのだ
そういう考え方に乗らないものがあるのだ
そういう色で出せないものがあるのだ
そういう見方で描けないものがあるのだ
そういう道とはまるで違つた道があるのだ
そういう図形にまるではまらない図形があるのだ
そういうものがこの空間に充満するのだ
そういうものが微塵の中にも激動するのだ
そういうものだけがいやでも己を動かすのだ
そういうものだけがこの水引草に紅い点々をうつのだ
7月18日
ふるさと横手にて
てらたしずか