2019.08.12 17:48
初めての国会を終えて、考えたことを。
それは、5日間という短い国会のなかで、おそらく最も話題となった障がいを抱えた議員が誕生したことについてです。
それぞれ重度の障がいと難病のため大きな車椅子を使われている「れいわ新選組」の木村議員、舩後議員。お二方の本会議場での座席はバリアフリー工事が行われた最後列となりました。無所属、初当選の私の席は慣例通り最前列になったため、近くになることはありませんでした。
「れいわ」の山本太郎さんは、重い病気のために発語が難しい舩後議員、そして重い障がいのある木村議員のため、これから様々な配慮が国会の場でなされることになるだろうと雑誌のインタビュー記事で述べられていました。そしてそれらは、選挙を経て当選をした国民の代表である二人のためになされるべき「合理的配慮」の範疇であると。
国会が開会した8月1日、開会式は衆参合同で参議院の本会議場で行われました。
開会式終了後、参加した議員たちが後方の出口から一斉に議場を出て行くなか、出入り口付近の最後列の席におられるお二人の議員と介助者の方は、なかなか議場を出ることができないようでした。お先に出られてはとお声をかけてみましたが、待ちますので、とのこと。
その光景を眺めながら、以前、半年だけ母が車椅子を使っていた頃の通院のことを思い出しました。混み合う総合病院の中で、母の車椅子を押しながらエレベーターを待っていると、開いたドアに歩ける人たちがわっーと乗り込んでいき、さっと動くことのできない私たちは何度見送ってもなかなかエレベーターに乗ることが出来ませんでした。
もちろんそこは病院で、それぞれ病気や怪我を抱えて辛い状態なのかもしれません。また、それぞれ急ぎの事情を抱えているかもしれないので一概に言うことはできないのですが、なんとも言えない思いでその状況を見ていました。
「れいわ」のお二人がそうであったように、当事者の方が道をあけてほしい、エレベーターにのせてほしいと声を上げることはとても勇気のいることでしょう。バリアフリー経路を使うため、多少の遠回りをしなくてはならず、議員会館への帰路も、他の議員よりより時間がかかるお二人は、来る時も私たちより早く部屋を出てこの場に向かったはずです。体調のことを考えても、お二人に先に本会議場から退出できるよう配慮があってもいいのではないか。そんなことを思いながら複雑な思いで本会議場を後にしました。
心根が優しく、思いやりがあるように思われる日本人がなぜこうした合理的配慮が苦手なのか。
それは、子どもの頃から障がいを持つ方たちと接する機会が乏しいからではないでしょうか。小さいころから身近にいなければ、配慮が必要な方の存在に気付きづらく、また気付いたとしても、どのように手を差し出せばいいか戸惑うでしょう。そしていざ自身が周りの助けが必要となった時、絶望してしまうのではないでしょうか。以前、大人になってから事故で車椅子生活を余儀なくされた方から言われた言葉が今でも心に残っています。
一生車椅子だと言われ絶望した、しばらく落ち込んだ、でも、いざ生活を始めてみたら不便ではあるが大丈夫だった、子どもの頃から周りに車椅子の人がいて、その生活を知っていたらあの時あんなにも絶望しなくて済んだのにと。
高齢化が加速する中、今まで以上に多くの人が杖や車椅子、介助を必要とする時代になるでしょう。不自由を抱えていても、地域の中で当たり前に生活し働くことができ、周りの方が当たり前のように配慮する社会になればと強く願います。
お二人の姿が国会にあることによって、政治の場において、いえ、もしかしたら、日本の社会において「ほとんど存在しないこと」にされてきた障がい者、難病を持つ方々等に関する施策、そして多くの人たちの意識改革が大きく進むことになると期待しています。
国会の場に重責をおって来られたお二人の姿を見て、改めて、誰もが笑って暮らすことができる秋田と日本を作るために頑張ろうと胸が熱くなりました。
写真は車椅子生活だった頃の母と息子と愛猫。
8月12日
てらたしずか