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平和への思い

2019.08.20 13:54

本日は男鹿市戦没者遺族地方大会にお招き頂き、ご遺族の皆様と共に追悼の時間を持つことができました。

広島・長崎の日、終戦記念日があった今月は、たくさんの戦争体験を耳にしました。この国がどのように戦争へ向かうことになったかとの報道を目にする機会も多く、戦争と平和について多くの思いが去来しました。
無謀な戦争へ向かわせることとなった当時の社会の様子に、言論や表現の自由に何か圧力がかかるような今の状況が似てきたように思われて恐ろしさを覚えます。

私の祖母の兄は、フィリピンで戦死しました。94歳の祖母は、兄のことを語る時、今でも「どんなに苦しかったろう、辛かったろう。家族に会いたかっただろう」と言って涙を流します。
私の祖父はシベリアに抑留され、飢えと寒さに苦しみ、ほんの数センチのびた草を口にし、革靴の革をかじって飢えをしのぎ、励ましあって幸運にも戻ってきました。
子どもの頃、増田の祖父の家にいると、やっと探し当てたと言って戦友が訪ねてきて、あなたのお陰で帰ってこられたとさめざめと泣く様子を祖父の膝の上で見てきました。

両親の友人は、「わたしの名は顔も知らない父が出征の時につけたもの。だから出征の『征』の字が入っている。戦死した父の遺骨が返ってきたからと聞かされ、家族で骨壷を開けると、そこには名前の書かれた紙切れが一片入っていただけだった。国はこんなにも残酷なことをするものかと思った」と話してくれました。

近年、戦死者の半数以上が、戦闘により亡くなったのではなく、補給を絶たれたことによる飢えや病気によるものであったことが明らかになってきました。お腹を空かせ亡くなる、病気でも満足に口にできるものがない、我が子に食べさせるものがない。こんな悲しいことがあるでしょうか。

ひとりの母親として、祖父たちの体験を今の子どもたちに伝え、こうした戦争の現実と悲惨さ、そして、今私たちが享受している平和と繁栄が多くの犠牲の上にあることを意識することの大切さを伝えていきたいと思います。

「平和とは、健康だけれども病気にかかりやすい人間のようなもので常に手厚い世話を必要とする」
先日頂いた本に、こんな言葉が載っていました。

「戦争は人間がすること。どんなに状況が絶望的に思われても、自然災害ではないのだから、人間がすることなのだから、人間に止めることが出来ないはずはない」
これは広島の被爆者の方の言葉です。

政治家の最低限の責任は、国に戦争をさせないこと。まだ歩みを始めたばかりではありますが、この言葉を胸に刻み、平和をつくるために頑張ってまいります。

写真は私の父と息子の夏の一夜。


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