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故小笠原直樹氏を偲び

2021.04.09 17:16


「兵器で未来は守れるか」
そう大きい見出しが掲げられた紙面を見た時に、強い衝撃を受けたことを覚えています。そして、意見記事の最後、しっかりと「秋田魁新報社社長 小笠原直樹」と署名が記されていたことに、強い信念と覚悟とを感じました。
当時議論になっていた秋田市新屋演習場へのイージス・アショアの配備計画についての社長直々の論説でした。議会が曖昧な態度を取り続ける中において、その毅然とした姿勢には読者ならずとも多くの方が驚かれたことと思います。
示した姿勢は、保守でも革新でもなく、まさしく地元秋田に根ざした姿勢であり、その秋田のこれからを担う若者への責任でありました。

この論説を読んだ当時は、衝撃を覚えながらも、まさか自分がイージス・アショアを争点の一つに抱える参議院選挙に候補者として立候補するとは微塵も想像できておりませんでした。

兵器で未来は守れるか、秋田の子どもたちの将来を守れるのかー。
後に選挙に臨むにあたり、辛い時や行き詰まりを感じ弱気になる時にも、この言葉に記された強い姿勢と覚悟、地元への想いに何度も奮い立たせられました。
当選後、夫と共にご挨拶に伺おうとしたものの、ご静養中だったのか、お会いすることが叶わぬままとなりました。

本日、東京の魁新聞社に設けられた記帳台でようやく当選の報告と、イージス・アショアの配備撤回についての私からのご報告ができたと感じます。

生涯一記者として歩まれ、論語を愛していたと、現社長の佐川氏の追悼に記されておりました。そのご生涯に想いをいたし、これまでのご功績に心から敬意を表し、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。

令和3年4月9日
寺田 静


私が勝手に慕っていただけかもしれませんが、折を見て足を運び、近況をご報告させて頂いていた数少ない方の一人が、小笠原社長でした。
私にとって小笠原社長は同郷の生まれ、高校の大先輩であり、大学でもまた大先輩でありましたが、父が秋田県知事をしている際は、「議論よりも決断」を好む知事と、「決断の前の議論」を重要視する魁新聞との間で、決して小さくない溝があり、新聞紙面で大きく対立を繰り返していたのを見続け、だからこそ私自身が政治の世界に飛び込んだのちも警戒を解けずにおりました。
しかし、実際に向き合った小笠原社長は、まさしく大先輩としての包容を示してくださいました。
「野党がちゃんとしないとダメなんだ。頑張れ」。
半ば目的を見失いかけていた私にとって、小笠原社長から頂く使命感を温かさで包んだ言葉は、自らを奮い立たせる貴重なお言葉でした。

いまでも、あの社長応接室で和やかにお話をさせて頂いた日々を思い出します。
息子のような年頃の私をいつも丁寧にご指導頂き本当にありがとうございました。
社長の言葉に応えられる政治をこれからも頑張って参ります。

4月9日
寺田 学


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