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一人ひとりの行動で

2021.06.25 17:24

先週6月15日は、イージス・アショアの国内配備が実質撤回されてから一年。
それを受け、19日に秋田市で記念の講演会が開かれ、久しぶりに皆さんの前で直接お話をする機会を頂きました。
多くの方の感染対策のご尽力のもとに、このような会がもたれたことに感謝しながら、皆さんとお会いして一周年を祝えることが素直に嬉しく、壇上からではありましたが、さまざまな場でイージス配備阻止のために働かれた馴染みの深い皆さんのお顔を拝見し、あらためて感謝の念を頂きつつお話しさせていただきました。
会場にいらした皆さんはもちろん、集えなかった全県の皆さん、そして山口県の皆さんと共に喜びを分かち合いたいと思います。

一年前の6月15日の夕方は、家族全員で美容院にいました。感染予防もあり、近所の小さな美容院にいつも家族だけでお邪魔をする月に一度の普段通りの夕方。
その際にニュース速報が流れます。
程なくして河野防衛大臣から夫に電話がありました。
「はい、はい、ありがとうございます。実は妻が横におりますので少しだけかわらせてください」
と夫が話した後に、「イージスなくなったよ」と言いながら私に電話を渡してくれました。
美容院のケープに包まれたシャンプーしたばかりの濡れた頭のまま、電話を受け取り、お話をしようにも出るのは涙ばかりで、大臣に「ありがとうございます」と言葉を絞り出すのが精一杯でした。

イージスの配備撤回そのものも大きな喜びながら、なにより、県民一人ひとりの選択が結果を変えたのだ、ということにひときわの嬉しさを感じました。
私自身にとっても、秋田への配備の計画が浮上することがなければ、このように人生が変わることもなかっただろうと思うと、言葉にできぬ感慨深いものがありました。

ここに至るまでは、何より、地域の皆さんの努力がありました。
配備候補地とされた新屋勝平にお住まいの皆さんが真っ先に声を上げたことが大きなことでした。
日本の社会では、とかく政治と宗教の話というのは嫌われます。
町内などで動くのは本当にご苦労が多かったことと思うのです。

「5年後、10年後、自分たちはどうなってるかわからない。でも、子や孫にイージスのある地域を手渡したくない」。
新屋の皆さんが頑張って声をあげたことで、そこに共感が生まれ、広がっていきました。
最初は、県内では秋田市の話だろう、秋田市では新屋の話だろう、新屋の中でも勝平の話だろうと言われ、本当に辛かったとのこと。
結果から見ると、新屋の皆さんが頑張って声をあげたことで、市内でも新屋の皆さんと共にあろうと声をあげる町内も現れ、やがてそれが全県に広がる流れになりました。

署名活動に関わった多くの方の努力もありました。
考え方に違いがある中、一人でも多くの皆さんが納得し一致できることが大事ということで、住宅街に近いあの場所への配備を止めようと意思決定をされて、この運動は多くの方を巻き込み進んでいきました。

地元・秋田魁新報の渾身の取材、のちに新聞協会賞を受賞する一連の記事の存在は格別でした。
渾身の取材は、防衛省作成の資料にあった男鹿の候補地の山の仰角(仰ぎ見た時の角度)を目にした一人の記者の方が、そんなに高い山があるかという素朴な疑問からその場に実際に行ってみて、そんなわけはないと直感。社に持ち帰り、魁新報社として測量を依頼し、結果、防衛省の説明資料のミスを暴くこととなりました。複数のミスや、故意ではないかとすら思われる誤った記載もあり、中でも、説明資料にない新屋の津波被害想定を指摘されると、盛土でカバーできるなどと説明したことは、最初から新屋ありきではなかったかという疑いが一層強まることにもつながりました。

そして、魁新報社の前社長小笠原氏の論説が掲載されました。
タイトルは、「兵器で未来は守れるか」。
多くの県民の方と同じく、私もこの言葉に大きく心を揺さぶられました。
兵器で未来は守れるか。
兵器で秋田の子ども達の未来を守ることができるだろうかと、その選択に伴う責任を大人である私たち一人ひとりの胸に突きつける、想いのこもった文章でした。

執筆者の小笠原氏は残念ながら今年鬼籍にはいられました。
お悔やみに行って聞かされたのは、小笠原氏はこの原稿を突然編成担当のところに自ら持参され、「ボツにしてもいいから」と言われたということ。
生前、一度だけお目にかかったことがありましたが、その際にお伺いしたのは、新聞協会賞を受賞した一連の取材は社長からの指示で行われたものではなく、現場の方たちが自らの問題意識にそって動いた結果であったということでした。

各議会それぞれでの議員の努力もありました。
県議会、各市町村議会で質問を重ね、請願も何度も継続審査となる中、粘り強く採択を求め続けた議員たちの姿がありました。

また、国会においては、夫が当時の大臣であった小野寺防衛大臣から「地元の理解なしには配備は難しい」との答弁を得たこと、その後も防衛大臣が変わるたびに、同様の答弁を取り付け大臣に配備への地元の理解は得られていないことを訴え続けたことが最後まで配備への足かせとなりました。

私自身は参議院議員として議席をいただいた直後、2ヶ月以上かけて、全700名の国会議員のところに足を運んで、この問題の解決をお願いいたしました。
当選直後の新人議員でもあるにも関わらず、当時、官房長官であった菅総理、現職の防衛大臣や過去の二人の防衛大臣、与野党の関係委員会の理事の方達には面会の約束をもらって直接お話をさせてもらいました。
これらはすべて、夫が本会議の席上などで、各議員に取り付けてくれた約束でした。

夫が15年の議員活動の中で、党派を超えて人間関係を築き上げていたからこそ、こうした方達からも「あいつの妻なら仕方がないな」ということで会ってもらうことができたのだと思います。
正直に言えば、私が見知らぬただの新人議員であったら、「イージス・アショアの件で会いたい」などとお願いしても、会って話を聞いてもらえることはなかったでしょう。その意味でも夫にも感謝しています。

一人ひとりの行動で結果は変わる。社会は変えられる。それは防衛政策であっても変えていける。
それが、大きな答えだっと思います。

昨年、障がい者政策を学ぶ中で、デンマークの教育と日本の教育の違いを聞いた時、「デンマークでは、子どもの頃から選択肢を与えられ、選択し、その選択が尊重される。その経験を繰り返し、デンマーク人は、自分の選択で社会も変えられると信じている、だから投票率もいつも80%を超えるのだ」と教えられました。

秋田県民は、イージス・アショアのことを通して、一人ひとりの選択が結果を変えることを身をもって知りました。
イージス・アショアの配備撤回自体ももちろんですが、この、自分の選択が社会を変えるということを実感できたことが本当に大きな収穫ではなかったかと感じます。

参議院選挙が一つの流れを作ったと言われることも本当に嬉しいことですが、これは私一人の力でなし得たことでは当然なく、一票一票の積み重ねがもたらした結果で、私はいわばカカシのような役割を果たしただけです。

今回は政権にお灸を据えたいとか、イージスだけはだめだという消極的選択で有った方も多いはず。
でも、そうした消極的な行動であっても、選択をするということが大事だということは私自身を含めて大きな学びであったように感じています。
投票に行かない、ではなく、白紙でもなく、「現状が嫌ならば政権側ではないほうに票を投じる」ということが大切で、投票に行かないことや白票を投じることは、結局は政権に白紙委任をする意味を持ってしまうこと。
一票は無力なようで、実はその一票の積み重ねでしか社会は変えられない。
そのことを、私自身も含めて、久しぶりに実感できたことが本当に嬉しかったですし、よかったと身に沁みて感じています。

皆さんと共に、イージス撤回からの一年を喜びつつ。


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