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子どもは誰が育てるのか

2019.04.04 11:29

この春、友人夫婦に待望の赤ちゃんが訪れた。お祝いに訪ねると、ベビーベッドの上でスヤスヤと眠っていた。
新生児を迎えたばかりのありふれた家族の風景だが、実は少し事情が違っている。赤ちゃんは特別養子縁組によって友人夫婦に迎えられた。

我が家は結婚して4年目に第一子を授かった。
結婚時、夫32歳、私は34歳。親もそれなりの年齢だから子どもを急ごうと互いの気持ちは一緒だったが、なかなか恵まれなかった。
2年経ち、夫婦2人で何度か病院を訪ね、不妊の検査を受けた。女性の検査はタイミングもあるので一通りの検査を終えるまで数ヶ月に及ぶこともある。一度は痛みで失神して検査がやり直しになったこともあった。結果はどちらにも大きな不妊の原因となるものは見当たらないとのこと。
年齢を考えたらすぐに体外受精に進んでもよいとの医師の話だったが、ひと月ほどお互いの人生観まで含めて夫婦で話し合った末、もし自然に授からないのなら夫婦2人で楽しく生きていこうと決めた。
人それぞれ、どんな選択も自由、そう前向きに考えてはいたが、秋田と東京を往復する生活の中、治療のスケジュールの問題、そして、ホルモン剤などの影響で気分や体調が大きく変化する中、子どもはまだかと多くの人に聞かれながら本格的な不妊治療を続けていくことの自信が持てなかったのも事実。

そんな諦めをしてから一年、すっかり妊娠の可能性すら忘れていた頃に妊娠が発覚。夫が落選して1ヶ月余りが過ぎた頃でもあり、経済的なことなど、正直今かとの気持ちがあった。しかし、純粋にお腹に赤ちゃんがいるということは嬉しく、妊娠を告げられた病院からの帰り道、雪を踏みしめながら気がつくと涙がポロポロと溢れていたのを覚えている。

子どもを授かるまで、色々な方から子どもはまだかと聞かれるのは正直辛かった。子どもが欲しいと痛いほど思っているのは私たち夫婦も同じだからだ。もちろん、子どもは本当によいもので、皆が心配して声をかけてくれているのだし、なんの悪気もなく、気にかけてくださる気持ちが嬉しいと素直に思う部分があったので、気に病んだりせずに済んだ。

第一子を授かるまで、また、第二子をなかなか授からない中のここ1〜2年、養子縁組について夫婦で話をすることもあった。が、私たちのような夫婦のところに来ることは幸せなのかとの葛藤があり、踏み切ることが出来なかった。
今は、養子であることを小さな頃から話して育てるのが基本であるという。だが、子ども自身が知っているということと、夫の立場上、家族以外の周りの多くの人にも最初から知られているということは少し話が違うと感じる。それでも一人の子どもに家族が出来ることのほうが良いのだとの気持ちもあったが、ひとたび選挙となれば休みなく忙しく過ごさなれけばいけない環境の中で、周りの雑音から守り、子どもの気持ちの機微に向き合い、丁寧に私たちの気持ちを伝えながら子育てをする時間と気持ちの余裕があるのか不安だったからだ。

そんなこともあり、友人夫婦の選択には言葉にならない様々な感情が湧いてきて、心を揺さぶられた。

千葉県野田市の虐待死事件を受けて、政府が指示した緊急点検により、この1ヶ月で170人の子どもを親から引き離す措置が取られたという。
こうしたニュースを見るにつけ、子どもは誰が育てるのかということを考える。日本は実の親の権利が強すぎて、虐待の可能性があっても現場にも子どもを引き離すことへの躊躇があるという。
児童相談所に弁護士の配置がなされているのはわずか。不幸な結果となる事例を少しでも減らすために、そうした現場の実情に即した仕組みが必要で、そのためには予算がつけられなくてはいけないと思う。

そして、「子どもは親が育てるのだ」という当たり前のことを度々政治の側が声高に唱えることにも強く違和感を覚える。大抵の日本人は真面目で、そんなことは言われなくてもそう思っている。「子どもは親が育てる」ということをことさらに唱えることが何を生むのか。それは、母親が一人で抱え込み、産後うつになり、育児ノイローゼに繋がりかねない。

私も、子どもが生後一年で夫が再選してから、ずっとパパと過ごしてきた子どもの環境の激変を避けようと断続的に東京に滞在した。何日も夫以外の大人と話す機会もなく、子どもの成長過程に合う遊具がある公園も知らない。
ようやく公園を見つけて遊んでも、帰るときには毎回泣き叫ばれて、夕方になるとこちらが昏倒するかと思うほど疲れ果てた。
イヤイヤ期には、こちらが限界に達し、怒鳴ったり叩いたりするよりはと自分がトイレに逃げ込んだりした(そうして気持ちを鎮めようとしても、結局はドアの向こうで泣き叫ぶ子どもの声に神経がすり減るだけだったが)。いわゆる「孤育て」にすっぽりとはまったのだ。

子ども一人でこれなのだから、二人三人の子育てをする方、そして双子や三つ子などのお子さんを持つ方、障がいを持つお子さんを持つ方の苦労は計り知れない。
4人の子どもを育てる親友の家に遊びに行くと、それぞれの子どもの学校の宿題を見たり、学校行事の確認と持ち物の準備、部活のウエアの洗濯など、日々のやる事の多さに圧倒される。

我が子が5歳になった今、手も目も離せない赤ん坊の頃やイヤイヤ全盛期の頃と比べたら、だいぶ楽になったと感じる。
だからこそ、あの頃の私が欲しかった言葉「子どもはみんなで育てるもの」「子育てはとても大変で、一人で出来るものではない」ということを広め、外に助けを求めることに躊躇がなくなる社会にしたいと強く思う。虐待によって苦しむ子どもや命を落とす子どもが一人でも減るように。母親達が追い詰められることなく、子育ての楽しさを実感し、子どもを育てることの喜びを心から享受できる社会であってほしいし、そうあるべきと心から思う。子育てに関する社会の受け止めが変わらなければ、子どもなんて増えようもない。

重い話ばかり、子育ての大変さばかりを並べてしまいましたが、、子どもは本当にかわいく、数年前にはこの世になかったものに自分の全てを投げ打っても守りたいと思える貴重で大事な存在です。多くの人がそうして子育てをしていたり、してきたということを考えると、それだけで心が温まる思いがします。人生観を根底から変えてくれた我が子に感謝しています。

冒頭の友人夫婦の夫が、
「この子のために頑張らねばとパワーを逆にもらえるかけがえのない存在です。理屈抜きにかわいいっす」
とメールをくれました。

全ての子ども達が幸せに育つように、社会全体で子育てを支え合う世の中になるよう努力してまいります。

写真:五年前、生後10日の息子


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