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新屋住民と共にありたい

2019.06.18 14:03

「こんな状況に置かれた時に、人間はとても弱くて」。
住民説明会で、あれだけ毅然と意見を述べていたのに、直接お会いした新屋勝平振興会の皆さんからの言葉は、とても意外なものでした。

イージス・アショアの配備「適地」とされた、秋田市新屋演習場。
その演習場の目の前に新屋勝平地区はあります。
多くの民家はもちろん、保育園から高校、福祉施設まで、起きてから眠るまでの生活全てが詰まった普通の住宅街です。

その地域に突如として突きつけられたのが、ミサイル基地の配備計画。

時が経つにつれ、地域には影響が出てきたと聞きました。
県外に働いている息子夫婦が、秋田に戻ってくることを躊躇し始めた。
帰るのはちょっと、それより父さんたちが東京に来たらいいじゃないかと言われた。
以前はすぐに売れていた地域の中古の住宅に、いつまでも売家の看板がかかっている。
子供を育てる場所として相応しくないと考える人が増えるのでは?
秋田に住もうという人がいなくなるのではないか。
徐々に、地域は壊れ始めていると不安になる日々。

だからこそ、立ち上がって「反対」の声をあげた。
「俺らはもう5年、6年したらわからん。でも、子供や孫のことを考えたら」と気持ちを奮い立たせて。

そのような中、先日、防衛省から「新屋演習場が配備『適地』」との報告書が出されました。
報道の通り、ずさんな計算間違いを交えて、乱暴に結論を導いたものでした。
それでも、政府与党は未だに「新屋が適地」との姿勢を崩しません。
住民に対する説明会の日程も、地元のお祭りの日だから町民は出られない、そうあらかじめ防衛省側に伝えてあったのに、結局そのままの日程で強行されたそうです。

杜撰な調査資料と説明会を強行する姿勢、居眠り説明会での失態で、信頼関係は根底から崩れたはずなのに、今度は「イージス・アショア整備推進本部」を作るという。

こうした政府の姿を目の当たりにして「私たちは、馬鹿にされてる」と憤りが募るのも当然のこと。
与党幹部も、政府高官も、ついには担当の防衛大臣も秋田市まで来たのに、目と鼻の先の県庁やホテルに来たのに、地元地域にはなんの連絡もなく、ついに誰一人住民と会うことはなかったことも悔しいと。

「地元選出の国会議員も来てくれない。賛成でも反対でもいいから、この地に来て、その目で見て、我々の話を聞いてほしい」。
その言葉が全てだ思います。

先日、野党の国会議員数人が新屋地区に足を運びました。滞在わずか数十分の短い滞在。
その段取りを担った夫は、あまりに短い滞在だったので住民の方々に申し訳ない気持ちでいっぱいだったそうです。でも、終了後、振興会の会長からかけられた言葉は予想もしなかったものでした。
「本当にありがとう。やっと東京から国会議員が来てくれた」。

「ようやく、ここまできた」。半ば涙をためて絞り出すように語られた感謝の言葉を、夫は忘れられないといいます。
ここに至るまでの皆さんの葛藤、努力、費やされた時間と労力を思うと、本当に胸が詰まり、お掛けする言葉がうまく見つかりませんでした。

「ここで暮らす私たちの心情をわかってほしい」そう言われました。

最近読んだ本のタイトルは「『ほとんどない』ことにされている側から見た社会」というもの。声をあげても届かない人達の話。
まさしく、私たちの暮らす秋田の中に、それはありました。

振興会の皆さんは言います。
新屋への配備計画の話が出てから約一年半。反対の声をあげて活動しても、新屋以外の方からは「俺らには関係ない」と言われ、秋田市外の人からは「秋田(市)の話だろ」と関心を持ってもらえなかった。ここ10日ほどで新聞やテレビで全国放送で取り上げられるまでになり、ようやく注目してもらえた。これまで本当に孤独だったのだ、と。

お願いがあります。
この投稿を読んでくださってる皆様に。
このように声を上げている新屋の住民の皆さんに、一緒に寄り添ってもらえないでしょうか。
同じ、私たち秋田県民の切実な声です。
昨年の夏、金足農業の活躍で一丸となった時のように、気持ちを一つに出来ないものでしょうか。
何より、これだけ政府与党に気持ちが届かない中で、私たち秋田県民が寄り添えなくて、他に誰が他に寄り添ってくれるでしょう。

私も新屋住民と共にある。
そうご賛同いただける方は、大変恐縮ですがこの投稿を共有して多くの方に想いを届けて欲しいのです。

私は、新屋住民と共にあります。
子供を育てる母親として、皆さんの子や孫を思う気持ちが痛いほどわかり、また、一県民として、私のふるさと秋田がないがしろにされたことがあまりにも悲しいからです。

写真は、新屋勝平地区振興会の佐々木会長ら幹部の皆様と。


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