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祖父について

2019.06.21 16:20

横手市生まれの私ですが、故郷は横手に限りません。
実家といえば母の実家である増田、祖母の実家の十文字(どちらも現在は横手市)ですが、もう1つ遡れば、大仙市内、旧中仙町清水にたどり着きます。
ここは、祖父の生まれ故郷です。

祖父である佐藤佐太郎は、今の大仙市にある旧中仙町清水に生まれました。20代の頃、子どもが出来なかった叔母の家に養子となり、増田町の住人となります。
その後、雄平酪農という酪農農家の協同組合の参事として働き、助役や町会議員を経て町長となりましたが、在任2年で病に倒れました。自分は小学校しか出ていないからと、挨拶の原稿などは、したためた後におかしなところはないかといって、いつも私の母に見せ推敲を重ねていたそうです。
祖父はその人生のほとんどを増田町に捧げましたが、もともとは中仙町の生まれ。
その祖父の故郷を久しぶり訪ねてまわりました。

祖父の実家であった家の窓から田んぼを眺めていたら、本家に住む親戚が、
「おじいちゃんの母親は、この窓から外を眺めながら、出征した息子(おじいちゃん)が無事に帰ってくるようにとずっとお祈りしていたそうだよ」と教えてくれました。その祈りが通じたのか、祖父はシベリアに抑留されながらも無事に戻ってきました。草も生えない土地で、寒さに凍え、飢えに苦しみながら、革靴の革をかじりながら耐えたのだと、あまり戦争のことを語りたがらなかった祖父から一度だけ聞いたと母が言っていました。
私が子どもの頃、戦友の皆さんが「やっと探し当てた。あなたが励ましてくれたから無事に帰って来られた」と祖父を訪ねてきて涙を流す光景を今も覚えています。

そして、祖父の両親の仏壇に手を合わせながら見せてもらったのがこの名刺。祖父が選挙の時に使っていたものだそうです。
私が15歳の時に祖父は亡くなりましたが、町長をしていたことはうっすらと覚えています。
「誠実と努力の人」と自ら銘打っておりますが、本当に誠実で努力の人であったと多くの方が評価してくれていたようです。

「あなたの孫が選挙に出るからよろしくと、毎日仏壇にご飯を供えて拝んでたとこだよ」
本家の親戚が教えてくれました。

祖父の選挙を通じて選挙が大嫌いになった母から、政治にだけは関わってくれるなと言われて育ちましたが、なにかやはり因縁というものがあるのか。
祖父のように「誠実で努力の人」と評されるよう頑張っていきたいと思います。


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