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訴え、届く

2020.06.19 16:45

6月15日の夕方、記者会見を終えた河野防衛大臣からお電話を頂き、イージス・アショア配備プロセスの停止を知ることとなりました。
秋田市新屋へのイージス・アショアの配備を、なんとか止められないかと戦った選挙から約一年、望外の知らせを聞くこととなりました。

「停止」との言葉に違和感を持たれた方もあるかもしれません。
ただ、その後確認をすると、イージス・アショアを含む、安全保障事案については国家安全保障会議(NSC)が最終決定権をもつとのことで、防衛大臣としては「配備プロセスの停止」が、もちうる権限での最大限の決定であるとのこと。また、河野大臣の会見、その後のインタビューで、総理にも了承を得ていると聞き、実質的に配備そのものの撤回が叶ったのだと確信するに至りました。

すぐに色々な方に連絡した方がいい、Twitterやブログに書いたらと、スタッフからも言われたのですが、あまりにも大きなことで、たくさんの想いが胸に押し寄せ、すぐに出てくるのは涙ばかりでした。

何より真っ先に思い浮かんだのは、イージス配備候補地とされた秋田市新屋において、その計画の浮上当初から懸命に反対を訴え、活動をしてこられた皆さんのこと。田舎でなくとも、政治的な動きをすることは、日本では煙たがられるものです。
でも、「もう5年後、10年後、自分たちは生きているかわからないからいい。けれども、子や孫にイージスのある地域を残すわけにはいかない。」
そんな思いで、地域の皆さんは、雪の中も、暑さの中も厭わずに、理解と運動の輪を広げるために活動してこられました。

当初は、「秋田市の話なんでしょ」。秋田市でも、「新屋の話なんでしょ」、さらには新屋でも「勝平の話でしょ」といわれ、周囲の無関心に苦しんだと聞きます。ただ、魁新報の丹念な調査と取材に基づく報道、歴代大臣の「地元の理解なしには配備はできない」との答弁もあり、少しずつ県内各地で運動の輪が広がっていきました。
私も活動を続ける中で、県内どこに行っても「新屋に息子が家を建てたばかり」「娘と孫が秋田市にいるから不安」「(イージスを)一度受け入れたら動かない。他のものだって次々くるかもしれない。譲ってはいけない」等の声を耳にしてきました。

今回、このような決定がなされ、翌日安倍総理の会見でもイージスの見直しが語られるにあたり、ようやく皆さんが安堵をもって肩の荷を下ろすことができたのではないかと感じ、感無量とはこのような感覚を言うのだろうと、他の言葉で例えることのできない想いにかられています。

昨年2月「イージスの解決のために参議院選挙の候補者になってくれないか」、そのような要請を受け、さんざん悩んだ末、最後は、
自分の子どもを含め秋田の子どもたちに、イージス・アショアのある秋田を残したくない、
なんとしても住宅地の目の前の新屋への配備を止めたい、
イージス・アショアそのものの配備を阻止したい、そのような想いで立候補することを決めました。

私が(選挙に)負けたら「(イージスについて)地元の理解が得られた」と言われるのではないか。
引き受けてからもそのようなプレッシャーを感じ、もう私だけの問題ではないと、その重い責任で潰されそうに感じることもありました。

また一方で、万一選挙に勝つことができたとしても、国の防衛政策などというものが本当に変えられるものかと、私自身も悲観的に思うこともありました。
選挙中、懸命に訴えるなか「アメリカの大使館関係者も選挙の行方を注視している。なぜなら自国のミサイル防衛に影響を与えるかもしれないから」との報道もあり、そうであるならば尚更変えることは難しいのではないかと、悲痛な思いがありました。

ただ、その後、魁新報のスクープで、防衛省の杜撰な調査が発覚。さらには説明会での防衛省職員の誠実とは言えない言動、居眠りなどによって、県内各地でイージス配備はおかしい、秋田は馬鹿にされているなど、さらに大きなうねりが広がり、保守の牙城といわれる秋田において議席を頂くことに繋がりました。

もし当選が叶ったら絶対にしようと思っていたこと。
それは、全国会議員709名に理解を求めるために直接訪問することでした。

議員秘書時代、陳情客の応対等をする中、多くの事務所は、国会議員本人が来れば議員本人に会わせる、という対応をするのを何度も見てきました。
その経験から、忙しい議員でも、約束がなくても、議員として直接訪ねれば、部屋にいる限り多くの議員に話を聞いてもらえると確信していました。
実際には、国会の会期中でなければ議員は東京にはいない、会期中となっても、私自身が会議等のためにまとまった時間が確保できず、1日10分でも身体が空いた隙を見つけては足を運ぶという毎日で、当初の私の甘い予測に反して、約700名を回るのには2ヶ月の時間を要することとなりました。

それでも、やはり多くの議員と直接お話をさせていただき、地域の方の心配を代弁し伝えれば、「あの計画はおかしい」「住宅地に近すぎる」「なんでも協力する。一度現地を見たい」「与党でも問題意識を持つ人はいる」「(イージス・アショアを買うぐらいなら)他の防衛装備品に予算を使うべきだ」など、貴重な多くのお声を頂戴することができました。

イージス・アショアに関わったある防衛大臣経験者からは、「新屋の件はわかった。でも、それで県内の他の場所が候補地になることが決まったならば、地元の理解を得るのに協力してほしい」などの言葉をかけられることもあり、やはり秋田県配備は譲れない線なのかと重い気持ちになることもありました。

その後、菅官房長官が「再調査では住宅地との距離も考慮して」との指示を防衛省に出したとの報道や、年末には一部「新屋配備見直しを検討」との記事が、そして今年に入ってから何度か「新屋は断念」というような記事が出たり、はたまた正式決定ではないと打ち消すようなニュースがあったり、コロナにより再調査が何度も後ろ倒しになったり・・・どの情報を信じたら良いのかなかなかわからない中、本当に祈るような気持ちでおりました。

そして6月15日、河野大臣からイージス・アショア配備プロセスの停止が発表されました。

イージス・アショアの実質撤回が発表された直後、
「このようなことになりましたから、これからどうやって国を守るのかは一緒に考えましょう」
そのような真摯な言葉を河野大臣からかけていただき、涙が止まることはありませんでした。
同じ日に菅官房長官からは「あんな風に全議員回られたらね、あなたの執念だね」と言われ、同郷の大先輩から一定の評価を頂いたように感じ、嬉しく思いました。

霞ヶ関、永田町。
「わかったことに基づいて、たとえ以前の判断と違っていても、合理的に物事を判断する」という
世間一般ではごく当たり前のことが非常に難しい世界のように私には感じられます。
河野大臣は今回、その当たり前のことを当たり前に決断しました。

このことは素直に評価されるべきことと思います。

でも、私の気持ちとは裏腹に、与野党双方から、どうして以前の判断と違うのかという批判が集中しています。
イージス配備そのものに異論を唱えていたようなテレビ局でさえも、実際に配備することの困難さを棚上げして「国の防衛に空白ができることにどう応えるのか」などと、まるで強硬にでも配備をしたほうがよかったかのような報道をしていて、県民の一人として非常に違和感を覚えますし、今までの検討過程はどうであったかという精査は必要があれど、この河野大臣の英断を、単なる政権批判の材料のように扱う姿勢には、危惧を覚えています。

それはまさしく、例え新たな事実がわかっても、前任者の決めたことは変えられない、批判されるから変えられないという永田町・霞ヶ関に蔓延する慣例を助長することにつながると私は思うからです。
新たな事実がわかったり、不都合、不具合が見つかったのなら、以前の決定とは違っても、現状を踏まえてしっかりと見直す。
これが当たり前になされることが、国のあらゆる政策をあるべき方法に正していくことにつながる。
私はそう信じています。
今回のことは、国の防衛政策という、とりわけ変えることが難しい分野での英断でありました。
その姿勢で、これまで漫然と続いてきたものについて是々非々で見直しが行われることを期待し、また、一議員として促していきたい。
そのように思います。

ご苦労を重ねに重ねた地元町内の皆さん、あらゆる形で反対運動を続けてこられた皆さん、署名活動に奔走された皆さん、ご署名をいただいた皆さん、心の中で祈っていた皆さん、このことに期待して私に一票を投じていただいた皆さん、各議会でイージス反対の決議を採択するために動いてくださった多くの方々、与党野党を問わず、このことのために働いてくださった多くの議員の方々と共に、この結果を噛みしめ、心からの感謝を申し上げたいと思います。

そして、一人の政治家として、また、一国の防衛という重い任にありながら、ご自身の率直な問題意識に照らして再調査を指示し、事実を精査し、ご判断をされた河野防衛大臣に感謝を申し上げます。

本当によかった。
本当にありがとうございました。

6月18日
てらたしずか

写真は、ちょうど一年前の選挙のときのもの。イージス・アショアだけが争点ではなかったけれど、訴えが一つ実現できたことは嬉しく思います。


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