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沖縄、慰霊の日

2020.06.24 15:35

昨日6月23日は沖縄の慰霊の日。
激しい地上戦があった75年前と、そこからの沖縄の歩みに想いをはせました。

戦争を知る世代がどんどんいなくなる今、危機感を持って、これまで語ってこなかった戦争経験を残したいと、胸に押し留めていた記憶を、重い口を開き語り始めた方達がいます。
戦闘そのもので命を落とした方もあれば、日本軍にスパイの疑いをかけられて殺されたとの話や、生きていたらアメリカ軍にひどい目に遭わされるのだと聞かされて家族は自決をした、自分もそれに続くつもりが、手榴弾が不発で生き延びた、家族が次々と砲弾に倒れ、8歳で一人彷徨ったなど。沖縄の人口の実に4分の1の方が命を落とした先の第二次世界大戦。慰霊の日を迎えるにあたっての報道で目にする体験は、どれも目を覆いたくなるような辛いものばかりです。

私自身は、大学に通っていた20歳の頃に初めて沖縄の地を訪れました。
北国の生まれだからか、南の島への憧れがあり、受験勉強に励んでいた頃、大学生になったら行ってみたいと思っていた沖縄。同じく北国生まれの新潟出身の親友ともに、やってみたいと思っていたスキューバダイビングをするためでした。

バイト代をためて、友人と二人で到着した空港から、とりあえずホテルまでと乗ったタクシーで、運転手さんに勧められるままに訪ねたのがひめゆりの塔。
教科書で知っていただけのこの場所で、沖縄でどのようなことがあったのかという事実を沢山の体験談とともに知らされ、友達と二人で泣きじゃくり、南の島に遊びにきた気分はすっかり削がれ、何も知らなかったことに自責の念を覚えました。そこからも、車窓から眺める、海沿いにフェンス越しに続く米軍基地にも、また、自分たちが何も知らずに遊びにきたということを改めて思い知らされたのでした。

美しい海、豊かな食文化、優しい県民、そして重い辛い事実も含めた長い歴史と文化、工芸品の数々、異なる植生。
すっかり沖縄に魅了され、その後も、友人を訪ねたり、ダイビングをしたり。結婚後は沖縄に親戚ができたこともあり、今までおそらく30回は訪ねているであろう沖縄。
何も知らなかった20歳の頃とは違う沖縄が、今は少しだけ見えていると感じます。

沖縄の人は子供に優しい。
お店で食事をしていた友人が、大きな声で歌を歌う我が子を窘めたところ、
「歌わせておいたらいいさ〜。大人がそんなこと言うから、子供が歌わなくなるんさ〜」と、知らないおばあ(おばあちゃん)にニコニコしながら言われたと。
本土から移住した友人は、「そんなに豊かなわけでもないのに、子供にあげるお小遣いをおばあたちはいつもちゃんと寄せていてすごいなと思う」と。
子供に向けられる眼差しの優しさは、人口の4分の1を失った大戦で生き延びた方たち、そしてその世代から学んできた方達が、「子供は宝だ」ということを、口先だけではなく、心の底から信じているからなのだと感じます。

沖縄は、観光収入に頼る部分も多い都道府県のひとつです。
どうか、コロナ感染のひと息ついているこの夏、沖縄を訪ねていただきたいと思います。
沖縄県知事も、今は積極的に観光来県を呼びかけています。
もちろんマスクや手洗いなど、医療資源の乏しい島にウイルスを持ち込まないように気をつけながらであることは大前提です。

「1日出て、売り上げが1500円の日もあったよ。時給150円さ」
年配のタクシー運転手さんのこんな言葉を聞くと、喉になにかが詰まったような苦しさを覚えます。

大好きな沖縄がなんとかこのコロナ禍を凌げますように。

お子さんがいらっしゃる方にもぜひお勧めしたいと思います。柔らかい心のうちに、ぜひ沖縄で何があったのか、今どんな風景の中で沖縄の人たちが暮らしていて、どんなことを感じているのか。ありのままを伝えるのはとても難しいことだと、子育てをしながら感じますが、そのままを見せて伝えて欲しいと思います。

写真は以前に訪ねた斎場御嶽(セーファーウタキ)にて。
地元のガイドの方が、「妊婦さんね?」と声をかけてくれ、普段は入れない場所で安産祈願の仕方を教えてくれました。

てらたしずか


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