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いま政治に求められている人

2022.04.13 14:43

ご紹介をしたい方があります。
それは、この度、この夏の参議院選挙に立候補することを決意された、佐々百合子(ささ ゆりこ)さん。
その理由をみなさんにお知らせしたいと思います。
長文になりますが、お読みいただけたら幸甚です。

私が政治の世界に飛び込んで約3年。毎日のように思うことがあります。
なぜ700人を超える国会議員がおりながら、いつまでも日本の息苦しさは拭えないのか、
ということ。
理由は様々あるでしょう。ただ、議員の多くが男性で、家事や育児、そして家族の介護に至るまで、そのほとんどを誰かに任せて「政治」という仕事に専念している方々だけでほぼ議会が形成されているからだと、時が経つにつれて思いを強くしています。
「健康で仕事だけに専念できる男性」という同質の人たちが集うことは、その方達に聞こえる声はよく政策に反映される一方で、届かぬ声、今の政治から見えていない人の声は、世の中に「ほとんどいないもの」とされているように感じるのです。

政治に期待できないと嘆く方が絶えないのは、まさにここにあるのではないでしょうか。
その課題への答えが、今回、参議院選挙への立候補を決断してくれた佐々百合子さんです。

私から佐々さんをご紹介します。
佐々百合子さんは、46歳。
障がい児・者とその家族を支えるNPO法人の代表で、弁理士として秋田市で家族で特許事務所を営まれています。
小学生と中学生の娘さんを育てているお母さんでもあります。

二人の娘さんの間に、生まれた息子さんは出産時のトラブルで重い障がいを持って生まれ、2歳3ヶ月でその短い生涯を終えました。
10年前、出産を目前に控え突然の強い痛みと体の震えに襲われた佐々さんは、常位胎盤早期剥離のため、緊急帝王切開によって第2子を出産しました。
名前は「尚武(なおたけ)くん」。
出産時に脳が低酸素状態となった尚くんは、その後遺症で重症心身障がい児となりました。

脳に重い障がいを負った尚くんとの生活は、想像を絶するものだったそうです。
毎日毎日「今日、この瞬間」が本当に大変で、そのために「いま」支援が必要なことばかり。
容態が不安定で、24時間ほとんど寝ることがない尚くんの介護、初めて目にする痙攣発作、通常の赤ちゃんの泣き方とは異なる、聴いてて辛くなるような絶叫に近い号泣、ずっと続けてきた仕事の再開なども当然ながら全く見通せない辛さ。
障がいからくる強い身体の緊張、一日50回に及ぶ痙攣、目も手も離せず抱っこし続ける日々。
ちょっと目を離すと身体が反り返り、酸素不足で顔面が青白くなっているー。

自分の命より大切な我が子がそのように苦しむ姿は、想像を絶するもので、眼をそむけたくなるような現実であったと言います。
そして、子どもの介護のために働くことも難しくなり、尚くんもおそらく生涯働くことができない現実。
たまたま障がいを持つ子を授かったというだけで、これまでの日常から全く切り離され、子どもの介護に明け暮れて生きるという現実は、社会との繋がりが途切れることを意味します。
極限の精神状態の中で、このまま尚くんと一緒に死んでしまえたら・・・そんな思いが頭をよぎったこともあると言います。

終わりのない介護をしながら、必死に支援を求め続ける日々を重ねる中、尚くんに突然の死が訪れました。
重い障がいを持つ尚くんがきたことで一変した生活は、尚くんが亡くなったことで、再び一転することになります。
介護にかけていた時間がぽっかりと空き、何日も泣き続け、佐々さんは強い疑問を持ちます。

それは、
障がいを持つ子どもを産みたいと望む人も、自ら望んで障がい者になる人もおそらくいないはずなのに、自分が障がい者であったり、障がいを持つ家族がいるというだけで、その人の人生が、生活が大きく左右されるなんて、あまりにも理不尽ではないか。
そしてこれが、社会に内在する「障がい」の本質ではないかと。

尚くんの亡くなった翌年である2015年、佐々さんは「NAOのたまご」を立ち上げ、同じ思いをして苦しむ当事者家族を助けるための活動を始めます。尚くんの介護に使っていた時間を、当事者家族の支援と社会を変えるために使うと、天国の尚くんに約束したのだと。

誰にとっても人生は一度きり。今健康であっても、いつどんなきっかけで障がいを持つことになるかわかりません。
だからこそ、障がいを持つ子が産まれても大丈夫、病気やケガなどで後遺障がいが残っても大丈夫だと感じて安心していられる社会であってほしい、障がいのある家族がいても、家族みんなが、それぞれ望む自分の人生を大切にして、地域の中で生活できる社会にしたい、と。
この壮絶な経験と、そこから導き出された社会への疑問と望む社会が、佐々百合子さんの想いの中核にあります。

参議院選挙に臨む。
その大きな決断に際し、私に語りかけてくれた言葉が忘れられません。
「私は障がいを持つ人や、その家族が生きやすい社会を創りたいと思っています。なぜならそれは、誰にとっても生きやすい社会だから」。

いま、穏やかな微笑みを湛えながら私に語りかけてくれる姿からは想像ができないほどの苦しい経験を、佐々さんはされてきました。
ご本人が書かれた著書には「あなたは、わが子の死を願ったことがありますか?」と書かれています。
親は誰もが、わが子がかわいく、自分の命より大切で、愛しみ育てたいと願っている。
でも、あまりにも社会の支援が乏しいがために、一緒に死んでしまえたらと願うまでに追い詰められた佐々さんのこの言葉の裏には、自分の他にはもう誰にもこんな悲しく辛い思いをしてほしくない、そうではない社会を創るのだ、との強い願いが込められています。
佐々さんの望む社会像は、苦しみの中で声を上げられない方々の代弁そのものであり、今いる政治家には決して拾うことができない声なき声であると感じます。

政治は、誰のためにあるのだろう。
日々自らに問いかけています。
当たり前のことですが、私は、政治は弱い立場の人たちのためにあると信じています。

しかし、いまの政治は、どうでしょうか。
経済界、業界団体など、強いものの声により重きがおかれていないか。
強いものが配慮されるような政治が行われているのではないか。
私はそのように感じます。

佐々百合子さんは、政治の世界からすると、ごく普通の方です。
決して有名人でも、親族に政治家がいる家に生まれているわけでもありません。
選挙に挑むと決意することは、人生の一大決心であるはずです。
それでも決意した想いには、
「単に政治家になりたいのではなくて、自分が経験をしたような、本当に苦しくて社会の助けを求めている人のために、私は働きたい」
という信念が込められています。

今回の参議院選挙には、既に多くの方が立候補することを表明されています。
その立候補予定者に絶えず問いかけられる、
あなたはなぜ、政治の世界に飛び込むのか。
そしてあなたは、政治家になって何を成し遂げたいのか。
それらの問いに、自らの経験に裏打ちされた思いをもって、一点の曇りもなく答えられる人が、佐々百合子さんだと確信しています。
「みんなが活躍する社会より、みんながそこにあること自体が尊重される社会を作りたい」
この佐々さんの願いは、私の願う理想の社会の姿でもあります。

佐々さんの強さと優しさ、社会を変えたいとの強い想いを是非政治の場で活かしていただきたい。
私ができること、それは佐々百合子さんを一生懸命支え、共に社会を変えるために努力することです。

大人も、子どもも、高齢者も、障がい者も、みんなが笑って暮らせる社会を佐々さんと共に作りたい。
お一人でも多くの方にそう思っていただけるよう、懸命に頑張ります。

2022年4月13日
てらたしずか


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