2023.04.18 17:13
この4月から、子ども家庭庁が発足しました。
幼稚園時代にママ友から聞いた、障がいをもつお子さんを養子として育てている方の「子育ての秘訣」をいつも心に大切に抱いてきました。
・ 親としての直感を信じること
・ 物事のよい側面に目をやること
・ 自分自身をケアすること
子どもが1、2才、盛んにイヤイヤ期と呼ばれる時期を過ごしていた頃、私は軽く追い詰められていました。一人になりたくてもママの姿が見えないとトイレまで追いかけてくる、夕食の時間や病院の予約が迫っていても、公園から帰ることを嫌がり全力で泣き叫ぶ我が子。単なる虫歯チェックのための歯医者さんでも、台の上で暴れてメガネを蹴り飛ばされる。水を口に含んではダーっと出して服や床を濡らすこと一日数十回、おさまるタイミングを見て風邪を引かないように着替えさせ、床を掃除。ちょっと卵を買い忘れたから買い物にと思っても、真っ直ぐ歩いてはくれない子どもと一緒では、5分の距離を寄り道しながらなので、帰ってくるまで所要1時間強。帰ってくる頃にはもう夕食を作る気力も残っていない。ご飯作りに洗濯にと忙しいのにママママと付いて来られて、怒鳴ったり叩いたりするよりはましだと、トイレに閉じこもったこともありました。
どんな小さな子どもでも、その年齢なりの理解力に合わせていて話せば通じるのだと思っていた私は、その「丁寧な育児」に挫折を感じていました。
その頃、安保法制の議論で忙しくしていた夫は、家事育児に積極的に関わってくれましたが、どうしても物理的に家にいる時間が少なく、パパとの時間を少しでも長くとろうと東京にいると、昼間は大人の話し相手がいない時間を過ごすということになりました。子どもの預け先を考えたほうがいいかもしれない。そう思っても、秋田と東京行ったり来たりの生活では、受け入れ先など見つかるあてもなく、議員会館の中にある保育施設にも当然いっぱいとお断りを受け、他の保育施設などを探そうにも、昼間は子どもに付き合い、子どもが寝る時間には家の中はぐちゃぐちゃ、でももう放心状態で何をする気力も体力も残ってはいない。自分自身が生まれ育った場所でもないので、このくらいの年齢の子どもを連れて行くのにちょうど良い遊具があるような公園がどこなのかもわからない、行っても知り合いなど誰もいない。すっぽりと一人の穴に落ち込んだように孤独な育児に追い詰められていました。
子どもが寝た後に、録画して撮り貯めていたNHKの子育て番組「まいにちすくすく」を時折見ていました。果物以外の甘いものを与えていいか、どのくらい与えていいのかと迷っていた時期に見た回の大日向先生の言葉、「毎日一日中というのはそれはよくないでしょうけれど、もう泣いて泣いて自分でもなんで泣いているのか訳がわからなくなっているような子どものお口にポンと一つキャラメルを入れてあげる、フワッとお口の中に甘さが広がる。それはもう人生の喜びですよ」との言葉に涙がとめどなく流れてきた時は、このままではマズイ、ちょっと病んでいると思ったのでした。
親世代と今の子育て世代の育児環境は、大きく違っています。とある調査によれば、7割の人が、自分が生まれ育った町以外で子育てをしているのこと。頼れる親きょうだい、親戚や友人もおらず、自分が通った公園や保育施設や学校や小児科などがあるわけでもない町で子育てすることは、その一つひとつを自分で探していかなくてはならず、小児科一つとっても評判や口コミなどを見聞きしたりネットで検索したりしながら我が子の最善の利益に叶うよう選択をしていくことは、とても責任が重く、至難の業です。
一人目の子どもであれば、母親だって一人でどうしたらわからず自信もない。そうした時に一緒に考えてくれるはずのパートナーは仕事で不在、夜遅く家に帰ってきても疲れ切っていて「そんなことぐらい一人で決めて」みたいなことを不機嫌に言われようものなら、「普段どんなに心が広い自分でも『離婚』の2文字が頭に浮かぶ」、というのはママ友の言葉。
国政の場で意思決定をしてきた、子育てにほとんど関わることなく仕事だけをしてきた世代の男性国会議員たちが長く信じてきた、そして今もそう語って憚らない「子どもは親が育てるものだ」という言葉が、子育て世代を追い詰めてきました。
虐待死に至った多くのケースで加害をした親が語るのは「しつけのためにやった」「子育てに疲れていた」というもの。自分が子育てで困ったり悩んでいることを誰かに打ち明けて相談できていたら、違う結果があっただろうと思います。そしてそれは、子どもの命が失われてしまった虐待死のケースでは、2度と取り返しがつきません。悩んでいることを誰かに相談できないのは「子育ては親がするものだ」という前提で、子育てを家庭だけで真面目に背負い込んでいるからだと私は考えます。
私自身も、子育てをしながらつい無理を重ねて、風邪をこじらせ肺炎になったり、一度は入院せざるを得なくなったり。子どもが9歳になる今までには、ちょっと頑張りすぎたな、あれこれとめくじら立てて叱ったりせず、ご飯なんて手抜きでもいいからもっと子どもと一緒に笑って過ごせばよかったと、子どもが寝てから後悔する日も、今も現在進行形で存在しています。子どもと丁寧に向き合うには、時間と心のゆとりが必要で、余裕を生むための助けをもっと社会に求めてもいい、親を支援することは子どもの利益に直結する、そう思います。
発足した子ども家庭庁には多くの期待が寄せられていますが、なにより、今を生きる子どもたちの権利が守られ、一人ひとりが自分の価値観で選び取った人生を幸せに歩むための方策作りを、そして、親の子育て負担を軽減し、子どもと向き合う時間的・精神的ゆとりを生むための方策(そのためには経済的支援も大切)を、少子化対策を(直接の)目的とするのではなく、今の子どもと子育て世帯が幸せを実感できる社会づくりを求めます。親としての直感を大切にし、自分自身のことも労わりながら、「子どもを育てるには村が必要で、決して一人や一家庭で育てられるわけではない」という当たり前のことが浸透するように、永田町を構成する多くの意思決定者の認識が変わるように働いていきたいと思います。
写真:水を口に含んで出すのがブームだった頃1歳4ヶ月の我が子。