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一匹の命の可能性を

2020.11.26 17:45

来月上旬の国会閉会を控え、議連の会議が相次いで開催されています。
昨日は犬猫の殺処分ゼロを目指す動物愛護議連が開催されました。

横手市の実家にはいつも猫がいて、一番多い時で3匹の猫がいました。猫はいつも私が拾ってくるもので、犬は弟が連れてくるものと決まっていたかのように、学校帰りや、友達のうちで産まれたけれど貰い手がいない犬猫が、途切れることなく我が家にはいました。

そんな動物屋敷のような実家に住む両親もそれぞれ高齢となりました。飼っていた最後の一匹が去年旅立ったことで、もう飼うのは難しいかなと両親と話していた今年初めでしたが、、なんとまた猫がやってきていました!

父の知り合いの会社駐車場に捨てられていたとのことで、最後の1匹だけ貰い手が見つからないと頼まれたとのこと。
普段出不精な父が、久しぶりの猫グッズを買いに母と連れ立ってホームセンターへ出かけ、子猫用品を色々買い、猫のトイレを物置から出してきて(やはりまた飼うつもりはあったのか?)、めでたくミーはやってきました。

東京で仕事をする私としては、ともに70代となっている両親の家に立ち入ることは憚られ、いつも母から送られてくる写真や動画で見ていたばかりでしたが、先月ようやく玄関の網戸越しに対面してきました。実家に来たときには手のひらに乗るほどの小ささだったミーも、既に2.7キロ。立派な子猫、ではなく中猫くらいの大きさになっていました。

母は「折角来たのだから家に入っていけば?」とのことでしたが、万一にもコロナを持ち込んではと今回は我慢。
途中網戸に登るミーを叱ったりしながらしばし母と話して帰ってきました。

生まれた頃からいつも犬や猫と暮らし、そして支えてもらってきました。

不登校だった時も、犬の散歩はしなければいけないからと、引きこもらずに済みました。自分で学校に行かないことを選んだものの、他のみんなは登校しているのに、自分だけが出来ないのは私が弱いからではないかなどと悩み、夕暮れ時、田んぼの畦道の真ん中で「このままどこかに行ってしまいたい、消えてしまいたい」そう思った時も、いつもそこには犬がいて、犬連れでは家出もできず・・・結局最後は一人と1匹、とっぷりと日が暮れた道を帰ることになるのでした。
部屋で泣いていれば、猫が寄ってきて顔を舐めてくれたり、隣で寝ている猫の背中で涙を拭いたり。

どれだけ多くの日々をこの物言わぬ家族に支えられてきたことかと今も思います。
動物が好きでない方には「たかが動物」かもしれませんが、彼らの命にはかけがえのない可能性があると、自分の経験だけを通しても感じるのです。

私が所属する環境委員会は、動物愛護も所管しています。2月の委員会視察先では、保護された犬猫が新しい家族に引き取られない場合、どのように殺処分されるのか、実際の設備も見せて頂きました。

日本で何らかのペットを飼っている方は3〜4割と言われています。

皆さんの飼っている動物たちは、どこからきたでしょうか?

いま、狭いケージに閉じ込めて十分なケアをせずに動物たちを飼育したり、繁殖させたりする悪質なブリーダーやペットショップを取り締まるため、飼育頭数や繁殖回数の上限、ケージの大きさといった数値規制を含む「ブリーダー規制」が議論されており、年内にその骨格がまとまる予定です。

動物たちは、今や家族の一員であり、動物たちがその生を平穏にまっとうすることができる法整備と環境づくりは多くの動物愛好家の願いであり、秋田でもそのために多くの方が尽力されています。

かけがえのない命が一つでも守られるように、数値規制がしっかりと実施され、実効性を持つものとなるよう目を光らせておきたいと思います。

写真は、新たな家族のミー。
実家の洗面所のタオルで顔を拭くと、高率で毛まみれになります。。


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