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短い臨時国会を終えて

2020.12.04 19:07

本日、臨時国会の会期末を迎えました。
正直な気持ちとして、本当に国会をこのまま閉じてよいのかと、忸怩たる想いです。
新型コロナ感染症の感染拡大、いわゆる第3波の大波の勢いは止まることなく、連日重症患者数が史上最多を記録しています。当然のことながら、経済も回らず生活に苦しむ方の困窮の度合いはより深刻になっています。春先から生活を支えていた緊急小口資金の貸付等、最後の命綱となっている様々なコロナ対策が、今月末までに終了の予定であると聞くと、国会として果たすべき役割は未だ多いものと感じています。

数日前、「日本では10月の国内の自殺者数がこれまでの新型コロナでの死者数を上回った」と海外メディアで報じられました。

その報道によれば、日本は自殺に関するデータを即時収集・公開をしている数少ない国の一つであるとのことで、現状をリアルタイムで知ることができるようになっています。データによれば、2006年に与野党が協力して成立させた自殺対策基本法とその後の取り組みが功を奏してか、昨年までの過去10年、自殺は着実に減り続けてきていました。ただ、多くの方のご想像通り、今年はコロナ禍により、後半になって予測値を上回る自殺者が出ています。

先日開かれた自殺対策議連では、ここ数ヶ月で急増している自殺の詳細な報告を受けました。
特徴的なのは、女性や若年者が多く亡くなっていること(自殺に関することは、WHOがその基準を定めている通り、詳細を明らかにすべきではない性質の情報もあり、この場でその内容を詳らかに申し上げることは控えたいと思います)。

コロナ禍で社会的に立場の弱い人たちにしわ寄せがいくのではと直感的に感じていたことが事実として知らされ、あまりにも重すぎる現実に、既存の対策や発想のままでいいのかと強い危機感を持ちました。
もちろん、最後のセーフティーネットとしての相談窓口の拡充は大切ではあるものの、そこに至るまでの過程で救える手段はなかったのか。
せめて経済的なところからくるストレスを、国や自治体による手厚い給付でもっと減らすことはできるはずです。

「もし自分の親を助けてくれる人がいたなら、親と一緒に楽しく暮らせていたのではないか」
とは、先日の勉強会で耳にした社会的養護のもとに置かれた子どもの言葉。
ほんの少しの助けがあったなら。
今はそうしたことが自己責任論の名の下に放置をされ、「そういうことはほとんどない」とされている声なき声であると感じます。
このコロナ禍においてすら、政治の側がことさらに自己責任を繰り返すことへの強い違和感、嫌悪感を持たざるをえません。

出産後1年間の女性の死因のトップが自殺であるこの国の女性たちにむけて手を差し伸べるのではなく、「子どもはまず自分で育てるもの」とのメッセージを国や政治家が発信することが何を生んでいるのか。
連日のように虐待やネグレクトによると思われる子どもの死や痛ましい自殺のニュースが続いています。

国会が閉じても、それぞれの議員は意志決定につながる議員同士のつながりがあります。1人でも多くの方がせめて年末年始を安らかに迎えられるように努力を続けて参ります。


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