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道の駅が創るもの

2019.05.07 10:18

全県を歩く中、各地の道の駅にお邪魔しています。
そして、この季節は山菜などが安価に売られていて、買い物が楽しみの一つ。先日も「たらの芽」や大量の「こごみ」を買って天ぷらに胡麻和えに。
もし東京のスーパーで買ったら、5分の1くらいの量で、さらに倍の値段がついていそうな感じ。ということは東京にどんどん出荷したら!?と思うけれど、東京でどんなお金を出したところで、採れたてでなければこの食感や風味はなかなか味わえません。

先日の魁新聞に、三種町の直売所の運営に長年携わられた女性の記事がありました。農家は、長年世帯主が収入を管理する男性中心の社会で、女性は弱い立場にあったとのこと。だが、直売所のおかげで、一家を支えるような収入を得られるようになって、周りの見方も変わり、農家の「母さん」たちも働く喜びや自信をもてるようになった、と。

道の駅も、当初「そんなところに出荷して儲かるのか」と怪訝な顔をされ、農家に相談をもちかけてもなかなか商品を出してもらえなかったのだそう。そこに、農家の「お母さん」たちが少しずつ物を出し始めてくれた。「収入になることがわかると、農家の母さんがたが目をキラキラさせて色々持ち込んでくれるようになった」。これは、以前十文字の道の駅に勤めていた横手の小原県議からの話。そして十文字の道の駅「まめでらが〜」は、東北第2位の売り上げを誇るまでに成長しました。

以前、子育てだけをしていた時、私も似た感覚を味わいました。家事と育児は、洗って汚して洗って汚しての繰り返し。ご飯を作ってお皿を洗って掃除して夫の事務仕事を手伝って(夫は感謝の言葉を言ってくれていたけれど)、そんな生活の中で、自分のしていることが何の生産性もないように思われて虚しく、社会との接点が失われたように感じた時がありました。家のことはどれだけ頑張っても、当然のことながら収入が得られることはありません。境遇は違えど、私もこの農家の母さん達の気持ちがわかるような気がしました。収入がないと、なんだか家の中での発言権が弱いように感じたり、お金を自分のものに使うことに、いちいち後ろめたさがあるような心許ない気持ち。
その後、在宅で友人の仕事を手伝うようになり、働いて、いくばくかの収入を得ることでしか得られない種類の喜びや、自信のようなものが確かにあることを再認識しました。それは多くの女性達は実感として知っているはずです。

直売所はもちろん、全国各地に広がる道の駅は、農家の母さんたちに支えられ、同時に母さんたちを支え、それを通して、地域のつながりのみならず、地域経済の要として「女性活躍の拠点」の機能を有していると思います。

道の駅では、値札1つ1つに出荷した方の名前がついています。この名札のような値札を見るたびに、しみじみとそのことを思います。道の駅で買い物をするのが好きなのは、そんなこともあるかもしれないと感じる今日この頃でした。

写真は男鹿の道の駅「なまはげの里、オガーレ」。ここは、新鮮な魚介の宝庫です。


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