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終戦の日によせて

2022.08.17 12:29

終戦の日は、戦争について書かれた本を繰り返し子どもに読み聞かせています。

今年読んだのは向田邦子さんのちいさな妹と父親のエピソードを綴った実話「字のないはがき」と沖縄の6歳の少年が作った詩「へいわってすてきだね」の2冊。

いつも「悲しいお話は好きじゃない」などと文句を言われながらも、毎年続けています。

家族の中のほぼ唯一の戦争経験者となった母方の祖母とは、今年は感染防止のために会うことが叶いませんでした。子どもの頃から繰り返し祖母から聞かされた戦時の話は、集団就職のエピソードもあって、当時の生活が垣間見え、この季節にはいつも思い出します。

集団就職で神奈川県に行った祖母は、お菓子屋さんの工場に行ったものの、背が低すぎて製造ラインの台に届かず「使い物にならない」と言われたそうです。でも、元来の勝ち気な性格もあって、そう言われたのが悔しく、そろばんが得意だった祖母は、「そろばんならできる!」と言い、その場で「じゃあやってみろ」と言われたものをなんなくこなして、事務所で働けることになったのだそうです。当時、工場で働くよりも事務職の方が立場が上だと見られていたこともあり、小さく使えないと言われた自分が「事務員さん」と呼ばれることが鼻が高く、とても嬉しかったと話していました。また、多くの人が食べ物に困る中、会社の人たちに「おチビちゃん」と愛称で呼ばれ可愛がられたということもあり、食べ物はもちろん甘いものにも不自由しなかった恵まれた戦時生活だったとか。それでも、フィリピンで戦死した兄のことを話すときは、「あんつぁ(兄)、どぜねがったべな(寂しかっただろうな)」といつも涙を流します。夏のある日、近所のお通夜に出かけた両親をなんとなく心細く寂しく待っていたところ、玄関のドアが開き、廊下を歩く大きな足音がしたので嬉しくて襖を開けると、そこには誰もいなかった、あれはきっと亡くなった兄が帰って来たのだろう、というような怪談で終わる祖母の話。おっかなびっくり聞いていた私自身の子どもの頃の夏を思い出し、認知症が進んでそんな話をすることもなくなった祖母のことを切なく思うとともに、こうして戦争の語り手が減っていくことの危機感を個人としても実感します。

今年は「きたろう」で有名な水木しげるさんの生誕100年にあたり、妖怪物はもちろん、水木さんの戦争体験を綴った多くの本やマンガも改めてクローズアップされています。

すっかり漫画大好きに育った我が子が、水木さんの悲惨な体験や派遣された先の島の人々との交流などをありのままに綴った戦記を遠からず手に取ってくれることを祈って、大人用の本棚から居間の本棚に移そうと思います。

てらたしずか


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